昭和47年に書いた『国立戒壇論の誤りについて』と『本門事の戒壇の本義』は
先ほどから言っているように私が書いたけれども、そこにはたしかに
戒壇の建物は広布完成前に建ててよいとか、正本堂が広布時の建物と想定するような
今から見れば言い過ぎやはみ出しがあるけれども
これはあくまで正本堂の意義を『三大秘宝抄』の戒壇に作り上げようとした
創価学会の背景によらざるおえなかったのです。
この段落でも日顕上人は
当時の2冊の本は、間違った本物の御遺命の戒壇の定義を書かされたと言っています
そして、この段落では本書でもっとも大事なキーワード
正本堂の意義付けの定義を言われています
つまり「正本堂の意義付け」とは
正本堂の意義を
『三大秘宝抄』の戒壇に作り上げようとした
創価学会の背景によらざるおえなかったのです。
「創価学会の背景」というのは創価学会の圧力という事ですね
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