斎藤英通さんにtwitterにて下記の御返事を送りました
御遺命の戒壇が、国立戒壇と御書には無い。
国立戒壇とは、田中智学が言い出した事。日蓮正宗では、田中智学との法論で使用しただけ、当時わかりやすいから使用しただけであり、御遺命が国立戒壇でなく、本門事の戒壇である。 時間の無駄です。これ以上話すことは無い。
後、いちいちリンク貼るな!やり合いたいならDMか、こちらに返信しろ!だが、同じ繰り返ししかしないなら、時間無駄である。
少し落ち着いて貰えませんか?
討論を続行したいのでDM希望です
さて、御遺命の戒壇が、国立戒壇と御書には無い。
だけで斎藤さんは主語を書いているだけで、結論がなにか不明です
だけで斎藤さんは主語を書いているだけで、結論がなにか不明です
だから私は、その結論は何なのか
〇つまり、斎藤さんが言わんとしていることは
御書には国立戒壇と言う語が載っていないので、御遺命の戒壇が国立戒壇にはならない
御書に登場しない建物を造ることはありえない
と言うことで宜しいでしょうか?
と何度もお聞きしているのです
今回で3回目です、同じ質問をしているのは
同じ繰り返ししかしないとおっしゃいますが、斎藤さんが回答をしてくれないので
私の反論が止まっているのですよ
私は論理的に反論する為に、斎藤さんの主張を確認する必要があります
人のせいにしてはダメです
田中智学と将来の御遺命の戒壇は関係ないと思います
【近現代における戒壇問題の経緯と真義(23p24p)】には
国立戒壇ができる可能性が充分あった旨が書いてありますよ
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