日顕上人

ありの金吾様

2022年8月3日 ありの金吾様からの御返事

(1)現在の憲法下では「国立戒壇」は実現可能だから、実現可能なことを目的にするのは間違っていないについて旭川さんは自分勝手な解釈で屁理屈を展開していますね(笑)もはや妄想とも言える内容です(笑)(1)については、『旭川ひろし氏の国立戒壇論を破す―6』で既に結論が出ていますが、結論となった日顕上人の御指南を再度掲載させていただきます。
鬱将軍様

2022年7月20日 鬱将軍様からの御返事

読ませて頂きました。最初に質問に回答をします。 その後は読んでいて  おかしいと思ったところにコメントをいれます。その際の旭川様の文は青色にしました。ご了承ください。御影堂に本門戒壇本堂とある以上 最終の戒壇と見るのが正確です。これが覆るのは今の御法主上人が本門戒壇本堂ではないと仰られた時だけです
鬱将軍様

2022年7月16日 鬱将軍様への御返事

前の御返事に質問をしましたが回答が得られてません。僕の質問は①御影堂以外に戒壇を建てる論拠②日興上人以外が戒壇を建てていい論拠この2点です。①一期弘法付属書で御遺命されたから 本門戒壇本堂である御影堂を日興上人が建立した。日興跡条々事にて日目上人はその御影堂を修理し勤行をして広宣流布の日まで待つように言われた。広宣流布の時にはもう使わないのならば何故日目上人は修理を加える必要があったのでしょうか?
鬱将軍様

2022年7月8日 鬱将軍様からの御返事

読ませていただきました。質問に対する回答がわかりやすいように 旭川様の文は青文字とさせていただきます。日蓮大聖人の御遺命に関わることなのに七百数十年の日蓮正宗の歴史の中で一人でも(御影堂が御遺命の戒壇です!)とズバリ言い切っている方はいないのですか?のご質問は何度も答えてますが日興上人の日興跡条々事の「大石寺は御堂といい墓所といい日目これを管領し修理を加え勤行を致して広宣流布を待つべきなり」日精上人が御影堂を「本門戒壇本堂」といわれてることです。
ありの金吾様

2022年7月13日 ありの金吾様への御返事

(1)現在の憲法下では「国立戒壇」は実現可能だから、実現可能なことを目的にするのは間違っていないについて旭川さんは自分勝手な解釈で屁理屈を展開していますね(笑)(1)については、前回の『旭川ひろし氏の国立戒壇論を破す―6』で結論が出ています。旭川さん「御遺命の戒壇とは広宣流布の後に行うもので、それに伴ってどのようなプロセスで御遺命の戒壇を造るのか具体的な道筋が
鬱将軍様

2022年7月7日 鬱将軍様への御返事

1つ目 日顕上人は①勅宣並びに御教書についての現代的な意義の話をしているのであって御遺命の戒壇の現代的意義の話ではありません。というか御遺命の戒壇に現代的意義なんてものは存在しないからです。 ②勅宣というのは天皇陛下からの命令ですが 現代において天皇陛下が勅宣を出されることはありません。また御教書は幕府からの命令ですが 現代では軍事政権の幕府は存在せず文民が統制している政府が政治を主導しています。
鬱将軍様

2022年7月6日 鬱将軍様からの御返事

1つ目 日顕上人は勅宣並びに御教書についての現代的な意義の話をしているのであって御遺命の戒壇の現代的意義の話ではありません。というか御遺命の戒壇に現代的意義なんてものは存在しないからです。 勅宣というのは天皇陛下からの命令ですが 現代において天皇陛下が勅宣を出されることはありません。また御教書は幕府からの命令ですが 現代では軍事政権の幕府は存在せず文民が統制している政府が政治を主導しています。
鬱将軍様

2022年7月4日 鬱将軍様への御返事

御影堂が戒壇だとするのは御歴代上人の文書に明らかですよ。僕だけが言ってる事ではありません。まず、御影堂は日興上人が創建した事そこに本門戒壇之大御本尊が安置されていた事日精上人が再建した時に本門戒壇本堂と記した事があげられます。日蓮大聖人は本門戒壇を建立せよと御遺命をされました。また百六箇抄にて富士山本門寺の本堂を三大秘法建立の勝地と定められたのですから御遺命の戒壇=富士山本門寺本堂となります。
ありの金吾様

2022年7月2日 ありの金吾様からの御返事

旭川さんへ返事を書きましたが、今回の旭川さんのお返事は前回より酷い内容ですね。支離滅裂で意味不明な屁理屈を連発してますね(笑)旭川さん「前回に引き続き、今回も全体を通して殆どのありの金吾様の論調は「そのページにそんな文言は書いてない・嘘」との反論が殆どですね」そもそも、『近現代における戒壇問題の経緯と真義』には記載されていない文言を、実際に記載されているかのように書いた旭川さんが悪いのです(笑)
鬱将軍様

2022年6月30日 鬱将軍様への御返事

「宗門が従来からの御遺命の戒壇建立の定義の御遺命の戒壇は広宣流布後に建てること勅宣・御教書の現代的な拝し方をすることを変更してしまった」という点ですがこれは従来から本門戒壇と称している堂宇は広宣流布以前にも建立しているから 御遺命の達成のゴールにはならない上記の内容を読んで私の言っている(御遺命の戒壇)と鬱将軍様が言わんとされている