「正本堂の意義付けの経緯と諸問題」(51p~55p)

昭和39年から昭和40年あたりから創価学会が聖教新聞で正本堂は、ほぼほぼ間違いなく本物の御遺命の戒壇だと書き出した

そこで日蓮正宗も昭和40年に聖教新聞紙上で正本堂はほぼ間違いなく御遺命の戒壇です的な内容を書いてしまったと

それ以降、宗門の全体が学会のそのような考え方の在り方に、ずっと引きずらていったような意味がある

上記がよくネット内で論議されている日蓮正宗が、当時正本堂を御遺命の戒壇と言ったか?言ってないか?の部分ですね

日顕上人は昭和40年以降

宗門の全体が、「正本堂は御遺命の戒壇にする」との創価学会の考え方にずっと引きずられてしまったと書いてあるので

上記の論議の正解は

日蓮正宗は正本堂を御遺命の戒壇でもいいよと、しぶしぶ了承してあげたというのが答えですね

本書をもっと詳しく読むとかなり遠回しに「正本堂も御遺命の戒壇」になる意味があるっぽいみたいな

非常に曖昧なやりとりが必要だったみたいなことが書かれていますね

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