国立戒壇に関する調査報告書 旭川様への御返事その④ | 諸宗 破折 (ameblo.jp)
1つ目 日顕上人は
勅宣並びに御教書についての現代的な意義の話をしているのであって
御遺命の戒壇の現代的意義の話ではありません。
というか御遺命の戒壇に現代的意義なんてものは存在しないからです。
勅宣というのは天皇陛下からの命令ですが 現代において
天皇陛下が勅宣を出されることはありません。
また御教書は幕府からの命令ですが 現代では軍事政権の幕府は存在せず
文民が統制している政府が政治を主導しています。
その政府から軍事政権の御教書が出ることは無い。
ここにおいで 勅宣、御教書の
現代的意義が必要となります。
御遺命の戒壇=本門寺本堂
本門寺本堂=大石寺本堂
大石寺=御影堂
御影堂=御遺命の戒壇
というのは説明をするために分けただけです。
御影堂=御遺命の戒壇というのは
御影堂が本門戒壇本堂という名称がついてることで既に明らかですよ。
そもそも御遺命の戒壇に今も昔もありません。今も昔も同じ本門戒壇は本門戒壇であり
本門戒壇とは御遺命の戒壇という意味です。
日蓮大聖人は「三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺本堂」その日蓮大聖人の言われた地が現在の大石寺であり その大石寺の本堂は御影堂ですから
御影堂が本門戒壇でなければ
筋が通りません。
日顕上人は
三大秘法義に
「広布の暁に本門戒壇の大御本尊まします本堂がすなわち事の戒壇の意である」と言われてます。
次に日寛上人は御遺命の戒壇について言われている御文はありません。
ですから日寛上人の御指南を出してないと思います。
ですから法華講員で意見が違うことは無い。意見が違うように見えてるだけだと思います。
僕からひとつ旭川様に伺いたいのは
本門戒壇本堂とある堂宇を無視して 別に堂宇を建てる論拠
です。
是非ご回答頂けたら幸いです。
コメント