「創価学会と妙信講への宗門の対応」(その8)

【前回のつづき】

浅井会長が間に入って捨て身の考え方で、創価学会に抗議してくれたけど

そのなかで、浅井会長の主張する「国立戒壇」は田中智学と同じ内容なのでダメとの事で

日顕上人は(25p)に引き続き田中智学の主張する「国立戒壇の内容」を書かかれています

つまり勅命の「国立戒壇」だからダメなんだと

しかし、これは文書の表面上の意味ですね

深い意味は「正本堂の意義付け」の為に浅井会長の名前を借りているとわかります

「田中智学による提唱」(25p~26P)を学ぶ 


詳しくは以前、他のブログ内で書いているので読んで下さい

つまり、実際には浅井会長と田中智学の「国立戒壇」の主張は正反対なんですが

本書を読むと浅井会長の主張が正解と解釈できます

だからこの段落でも浅井会長は「捨て身の抗議をした」と書いてあり

また(85P)では浅井会長の抗議で、池田会長は正本堂を御遺命の戒壇というのを、断念したとの表現が書かれています

この部分は非常に読み解きずらい部分ですね

つまり「正本堂の意義付け」の作業は非常に難しいのが分かります

ストレートに「本物の御遺命の戒壇の定義の」変更をすれば全国の末寺住職から日達上人に非難が来る

だからどうしても第三者のせいにしないと話が進まない

正本堂の件で一番抗議したのは妙信講だとわかります、その妙信講に正本堂の意義付けの為に

名前を拝借して論を進めることが当時の状況では

必要だったのではないかと推測してます

つまり浅井会長の主張は田中智学の「国立戒壇」と同じだから間違っている

だから日蓮正宗は今までの御遺命の戒壇の定義を変更する

というのが大前提でないと、正本堂の意義付けが成立しないんではないか

このやり方が一番正本堂の意義付けを進めれる事なんだと、本書を読んで思いました

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