2023年6月30日 法蔵 管理人様からの御返事

法蔵 (iinaa.net)

法蔵 管理人様より下記の御返事を頂きました


 

①・過去に小乗の戒壇、法華経迹門の戒壇が建立されましたが、権力者の認可(勅宣並に御教書)があったとしても、いずれも国立ではありません。

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これは過去の法華経迹門の戒壇の話ですよね

未来の御遺命の戒壇にも同じルールで建立するとは限らないと思います

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その「ルール」とやらは、誰が決めるのでしょうか。御遺命に関する文証は限られていますが。その文証と、社会状況その他を総合的に考えて最終決断をされるのは、時のご法主上人です。

 

 

②・御遺命の戒壇を建立する時期は国主が三大秘法を信受するときであって、全ての国民が信受するときではありません。そうであれば、国立となれば、税金で建立することになりますが、その税金には謗法者の金銭が含まれることとなり、謗施の可能性があります。

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では、御遺命の戒壇に謗施が混じってはダメと断定できる根拠はなんですか?

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御遺命の戒壇に限らず、日蓮正宗では、古来より謗法からの供養は受けません。

御遺命の戒壇であれば尚更、純真な信徒の真心の御供養のみで建立したいと思うのが、日蓮正宗の信徒であれば、素直な感情だと思うのですが…

そうまでして税金で建てたいですか?

 

日蓮正宗は宗教法人ですよね

少なからず国民の税金が使われているはず、その大半は日蓮正宗を信仰していない方達です

それは、問題ないんですか?

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我々は国民の義務として税金を払っています。その税金によって、道路などの公共施設が作られ、我々もそれを利用しています。

日蓮正宗だけが国家から特別に優遇されているのではなく、国家社会の構成員として公平に受けるべき恩恵を法に基づいて享受しているにすぎません。

 

 

③・御法主は師、国主は檀那でありますから、国主が建立資金を支出したとしても、あくまでも供養であり、完成した戒壇は御法主に寄進されるべきであります。

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国主=(現代では国民)が御遺命の戒壇の建立資金を出したとしても、完成した御遺命の戒壇は御法主に寄進(譲る)べきである

と言うことだと思うのですが

概ねそれでいいと思います、御遺命の戒壇の管理は日蓮正宗しかできないと思います

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だったら国立とは言えませんよね?

 

 

④・三大秘法は全世界に流布されるのですから、一国家が戒壇を所有するというのは、世界宗教としてふさわしくないと思います。

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ふさわしいか、ふさわしくないかは分かりませんが

なぜ、三大秘法が全世界に流布される時、未来の御遺命の戒壇が国家の所有物扱いになると決まっているのでしょうか?

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普通「国立」と言えば、国家が所有し管理するのではありませんか?

「国家の所有物扱いになると決まっているのでしょうか?」と言いますが、それならば、話の前提として「国立」とは何か、ということをお互いに共有する必要がありませんか。

「国立」の意味が曖昧なままで「国立戒壇の可能性」について議論しても、話がすれ違うような気がしますが(笑)

 

 

あなたは、国立戒壇でなければならないと思っているのですか。それとも国立戒壇でもよいと思っているのですか。

前者であるならば、その理由をあなた自身が明示すべきだと思います。

もし、後者であるならば、現時点では、未来の社会状況がどうなっているかわかりませんから、我々が今からああだこうだと言っても不確定要素がありますから、あまり生産的ではないと思います。

国立が絶対ダメだということはないと思いますが、今から、そのことに固執する必要はないし、最終的には時の最高責任者(ご法主)がお決めになることだと思います。

それよりも、今一番大切なことは、戒壇建立が現実問題となるような状況(広布の進展)を創り出すことではないでしょうか。

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