2023年7月2日 法蔵 管理人様への御返事

法蔵 (iinaa.net)

下記の内容を法蔵 管理人様へ送らせて頂きました


法蔵 管理人様 御返事ありがとうございます
私の御返事を書かせて頂きます

①失礼ながら、あなたは、御遺命の戒壇が国立であることに、深く執着しているように思います。私は最初の投稿で、以下の4点を示しました。

“過去の戒壇は国立ではない”

“謗法者が納める税金で戒壇を建立するのは謗施”

“法主=師、国主=檀那であるから、国主は供養、寄進する立場”

“全世界に流布すべき宗教の聖地(戒壇)を一国家が所有するのはおかしい”

これらを普通に読めば、国立戒壇を否定、もしくは、その可能性が限りなく低いと感じるはずです。

ところが、あなたは、意外にも以下のような言辞を弄して、国立戒壇の可能性があると主張したのです。

 

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②・なので、この段落では御遺命の戒壇が教義上「国立戒壇」ではないと断定できる結論にはならないと思います

・教義上「国立戒壇」が否定できない以上税金での戒壇建立の可能性はあると思います

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これでも十分驚きですが、さらに驚くべきことに、肝心要であるはずの「国立」の意味まで、将来は変化するかも知れないということまで言い出して、国立戒壇を正当化しようとしたのです。

 

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③確かに、現時点では上記の内容だと、国立とは呼べないと思います

しかし、御遺命の戒壇建立は広宣流布達成後の話であって、未来のことであります

広宣流布達成後は、教育も、憲法も、医療も、臨終の考え方も、国民の考え方に様々な変化があると思われます

その様な、現在の辞書に書いてある「国立」の意味が未来には変更されている可能性もあると思っております

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普通に考えれば「国立」の意味が変われば、それはもう現代の我々が使う「国立」とは別物です。人間で言えば同姓同名の別人です。

警察が指名手配の犯人と同姓同名の別人を捕まえたら、誤認逮捕です(笑)

 

④以上のように、あなたの論理は牽強付会、我田引水に満ちているように思われます。

①の赤線部分について
私を御遺命の戒壇が国立であることに、深く執着と書かれておりますが、それは致し方ないと思います

まず、管理人さまは上記の4点を示すことによって
これらを普通に読めば、国立戒壇を否定、もしくは、その可能性が限りなく低いと感じるはずです。

と言われますが、これは管理人様の気持ちを言っているだけで、教義上から国立戒壇を否定してはいないのですから
感じるはずです。
と同意を求められても無理があります

以下
管理人様の気持ちの主張に対して、下記の私からの御返事を読んで下さい

②の緑線の部分について
そこまで驚くところではないと思います
広宣流布前の現時点での辞書と、国民の総意で建てる広宣流布達成後の辞書では
「国立」の意味が多少変わってくるのではないかと推測するのはそこまでおかしなことではないと
私は思っています

③の青線の部分については

誤認逮捕の例えが的を得てるかは分かりませんが

今の「国立」の意味とは別物になる可能性はあるでしょうね
広宣流布達成後ですからね、もしかしたら新しい言葉が辞書に誕生するかもしれません
だからこそ将来どう変わるかわからないから、今、具体的な形で言う必要はないと思います
現代の辞書の「国立」の意味をそうだからと言って、未来も同じと当てはめるのは不毛だと思います

国立図書館・国立博物館など、現代でも国立の建物は多くありますが

国立戒壇となれば、現代の国立の建物とは一線を画す建物になると推測しています

④灰色の部分について
以上のように
と話を締めくくられておりますが、上記の主張は全て管理人の思いであります

管理人様の思いは分かりました
そうではなく、教義上「国立戒壇」を否定して頂きたいのです

 

 

現在インターネット上では、法華講員の有識者の方達は口を揃えて「国立戒壇」は間違いと断定して世間に発信しております

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①それは、「国家が設立し、維持・管理する」という意味での国立戒壇は間違いということでしょう。

②そもそも、「国立戒壇」の語句は、他宗の田中某が言い出した、いわば造語であります。

それが、当時の国粋主義的風潮と同期して広まったものにすぎません。

そのような風潮の中で、宗門も一時期、「国立戒壇」の語を使用しましたが、”御遺命の戒壇”と言う意味で用いたに過ぎず、「国立」に深い意味があった訳ではありません。

事実、”御遺命の戒壇は国立である”といった踏み込んだ主張は、私の知る限り皆無であります。

そうであれば、③「国立戒壇」の語はもちろん、国立を意図するかのような文証(御書)が存在しない以上、宗門として「国立戒壇」の語は使用しないし、目指してはいません。

 

①の赤線部分について
私は、全国の法華講員の方達がネット上で公開している御遺命の戒壇についての記事を全て読んでいるつもりですが

「国立戒壇」否定の論調は国立の辞書の話だけではなく様々あります

〇憲法上出来ないとか
〇「三大秘法抄」の勅宣・御教書の解釈の話だとか
〇田中智学の話だとか
後は、個人的発想で「国立戒壇」を否定している文章も沢山あります

②の緑線部分について
田中智学の話がでたので、ついてにお話ししますが
法華講員の方達の殆どが田中智学の件を国立戒壇否定の論拠としておりますが

簡略に話すと、未来の御遺命の戒壇と田中智学は関係ないですよ

③について
それは分かりました

そうではなく、目指しているか、いないかではなく
御遺命の戒壇の建立の達成条件が国民の総意である以上、未来の御遺命の戒壇は「国立」の可能性があるし
「国立戒壇」の用語使用禁止も解除される可能性があるということです

だから、御遺命の戒壇は「国立戒壇」ではないと否定できる人はいないよね
ということです

以上です

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宜しくお願い致します

2023年7月2日
旭川

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