法蔵管理人様より下記の御返事がありました
メッセージ本文:
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・広宣流布前の現時点での辞書と、国民の総意で建てる広宣流布達成後の辞書では
「国立」の意味が多少変わってくるのではないかと推測するのはそこまでおかしなことではないと私は思っています
・今の「国立」の意味とは別物になる可能性はあるでしょうね
広宣流布達成後ですからね、もしかしたら新しい言葉が辞書に誕生するかもしれません
だからこそ将来どう変わるかわからないから、今、具体的な形で言う必要はないと思います
現代の辞書の「国立」の意味をそうだからと言って、未来も同じと当てはめるのは不毛だと思います
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国立戒壇の主張は、現在行われているのですから、「国立」の意味についても、現在通用しているものを前提として行うべきであります。
現在の「国立」の意味を前提とした国立戒壇が、可能かどうかを議論すべきであります。
将来は「国立」の意味も変わるといって、国立戒壇を肯定する論法でいけば、如何なる主張も否定できなくなってしまいます。
それでは、議論の余地はないでしょう。
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そうではなく、教義上「国立戒壇」を否定して頂きたいのです
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教義上「国立戒壇」が否定されないから、可能性があるといいますが、
大聖人の時代や、それ以前の時代には、宗教施設が国立であった事例はないと思います。
だから、教義の上に「国立」に関する言及はないのは当然のことで、想定されていないことを、わざわざ否定しようがありません。
あなたの論法でいけば、国立戒壇でなくても、国連立戒壇でも、檀那立戒壇でも、教義上否定できないから、可能になってしまいます。
いずれにせよ、御遺命の戒壇は広宣流布の大行事でありますから、可能性があるだけではダメで、ベストの選択が必要です。
不確定の未来の変化まで空想して、空理空論を振り回しても、「ああ、そうですか」と言うしかなく、結論は出ないでしょう。
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法華講員の方達の殆どが田中智学の件を国立戒壇否定の論拠としておりますが
簡略に話すと、未来の御遺命の戒壇と田中智学は関係ないですよ
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その関係のない語句が独り歩きして、”御遺命の戒壇”の代名詞のように使用された時期があったということです。
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御遺命の戒壇の建立の達成条件が国民の総意である以上、未来の御遺命の戒壇は「国立」の可能性があるし
「国立戒壇」の用語使用禁止も解除される可能性があるということです
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「御遺命の戒壇の建立の達成条件が国民の総意である」というのは、あなたの感想ですか?教義上、証明できますか。
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