斎藤英通さんからtwitterにて下記の御返事がありました
国立戒壇=建物ではない。 以上終わり
国立戒壇書いてないから、御遺命が国立戒壇でない。御書の何処をどう解釈すると、国立戒壇という建物を作れとなるのでしょうか?
戒壇が何か?すら知らないわけですね? 戒壇とは、戒律を受ける場所。これ仏法の常識です。
貴方が言う国立は、何ですか? 国立公園 国立図書館 国立競技場 それら国立と同じ意味ですか?
「広宣流布の時至り、国主此の法門を用いらるるの時、必ず富士山に立てらるべきなり」(門徒存知事)
二十六代日寛上人は 「事の戒壇とは、すなわち富士山天生原(あもうがはら)に戒壇堂を建立するなり。御相承を引いて云く『日蓮一期の弘法、乃至、国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり』と云々」(報恩抄文段)
■ 三十一代日因上人は 「国主此の法を持ち、広宣流布御願成就の時、戒壇堂を建立して本門の御本尊を安置する事、御遺状の面に分明なり」
以上、明治前までは国立戒壇は言われてない。
貴方は、国立は国が管理し、国が運営する戒壇と言う意味で考えてるならば、国立戒壇という言葉は使用する意味は、現代では意味は無い。
一天四海広宣流布しなければ、事の戒壇堂は建立できないのに、何故?日本一国が、本格的な布教し始めた時代の国立戒壇という名称にこだわる意味不明。時代遅れ、歴史を知らない。と言わざるを得ない。
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