ミライ様➂(2冊の本は参考資料にならないのではないか)について

【教宣】顕正会会長浅井昭衛の「本種寺」発言は誤報!(H31.3.5号) : 日蓮大聖人の仏法をどこまでも正しく護り、正しく弘めていく (livedoor.blog)

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ブログ管理者
2021/9/5 18:58
旭川 様
前回、「仏法は化義化法に則った実践が第一
なのであって、自分の頭で、あーでもない
こーでもないと考えてみたところで結局は
不信謗法に過ぎない」旨を
指摘させていただきましたが
いまだに上滑りしているようです。

では、2つ目の質問に移ります。

「他のブログをやっている方達は
むしろ積極的に2冊の本を使用
しております
私は、その方達は自分の頭で考えてしまって
まったく日蓮正宗としての意向を理解していないと
思っておりますが
ミライ様の意見はどうでしょうか?」

「持たるゝ法だに第一ならば
持つ人随って第一なるべし。然らば則ち其の人
を毀るは其の法を毀るなり。其の子を賤しむるは
即ち其の親を賤しむなり。」
『持妙法華問答抄』(298頁)

通解
持たれる法が第一ならば、持つ人もしたがって
第一なのである。そうであれば、最第一の法(法華経)
を持つ人を毀るのは、その法を毀ることである。
その子を賤しむるのは、
そのままその親を賤しむことと同じである。

尚、次回の返信は早くても
今月下旬以降になりますので、ご了承ください。

【旭川からの返信】
ミライ様返信ありがとうございます
前回、「仏法は化義化法に則った
実践が第一なのであって、自分の頭で
あーでもない、こーでもないと考えてみたところで
結局は不信謗法に過ぎない」旨を
指摘させていただきましたが
いまだに上滑りしているようです。
私も前回、私が読んでる本は
日蓮正宗の公式に出版してる
「近現代におけ戒壇問題の経緯と真義」を
元に発言していますとお伝えしましたが
上滑りしている部分はどこなのでしょうか?
私が学んでいる
「近現代におけ戒壇問題の経緯と真義」の
本は問題ないと思いますが
ミライ様としては、その中で私が引用している
部分の解釈が間違っていると思っているのか
私が論証した部分のなかで
間違っている所があるのか?
勘違いしている部分があるのか?
それとも疑問に思うこと自体がNGなのか?
その部分を具体的に書いて
頂かないと分からないです
私的には一般常識の範囲内からしても
的確な質問をしたつもりでしたが
ミライ様からみて不備でもあるのでしょうか?
多分、ミライ様の上記の回答を読んだ読者も
「具体的に旭川のどの部分が
不信謗法なのだろう?」と思っていると思います
「不信謗法」の意味は
(正しいことは疑ったらダメだよ)
ということなんだと思います」
私は「近現代におけ戒壇問題の経緯と真義」
を読み、日顕上人の話は正しいと思います
その正しいと思っている日顕上人の
指導からして、一般のブログをやっている方の
意見は違っているのではないかと思うことは
不信謗法なのでしょうか?
持たれる法が第一ならば、持つ人もしたがって
第一なのである。そうであれば、最第一の法
(法華経)を持つ人を毀るのは
その法を毀ることである。
その子を賤しむるのは
そのままその親を賤しむことと同じである。
↑私の質問に合わせて、分かりやすく解釈すると
正しい仏法を実践している人なのだから
その人自身が尊い人なのだと、だからその人が
書くブロブを悪く言うのはダメだよという
解釈で合ってますでしょうか?
まず私は
「近現代におけ戒壇問題の経緯と真義」を
読んだ上で「本門事の戒壇の本義」と
「国立戒壇論の誤り」は参考資料として
使えないのではないでしょうか?
との質問はしましたが
(他人のことを悪く言う。非難する。けなす。)
はしていませんがどうでしょうか?
それに、ブログを書いている人が
正しい仏法を実践している人とは
限らないと思います
法華講員なんだけど
勤行はしていない人もいるし
昔は法華講員だったけど
他の団体に行った人もいるし
そもそも、どこの団体にも所属してない
宗教が好きな人もいるし
創価学会・顕正会の人で
「本門事の戒壇の本義」と「国立戒壇論の誤り」を
使ったブログ書いている人だっていますよ
ミライ様のブログの目的は
(創価学会・顕正会は間違っている)
という事ではないのですか?
なぜ私の(「本門事の戒壇の本義」と
「国立戒壇論の誤り」は参考資料として
使えないのではないでしょうか?)
との質問が「毀る」ことになるのでしょうか?
ミライ様は日顕上人の御指導を正しいと
思わないのでしょうか?
正しいと思うなら、なぜ日顕上人の
指導の正しさを伝えようとしている
私が不信謗法となるのでしょうか?

私の質問は実は他の方にも同じ
質問をしたのですが、現状はこれといった
回答は貰っていない状態です
ですので、ミライ様ならなにかしらの
回答があるのではないかと思い
質問させて頂きました

他のブロブを書いている人からは
私の質問自体は
「素晴らしい検証です」「素晴らしい質問です」
との評価を頂いていますし
中には
「私も2冊の本は参考資料として
使えないと思います」と回答される方もおります
いづれも私が質問する方はミライ様と遜色のない
仏法の教義の検証をブロブ内でされている
方達ばかりです
しかし、なぜミライ様は私の質問を
「上滑り」「不信謗法」と言われるのでしょうか?
理解に苦しみます

いづれにしても、ミライ様の回答は
親切ではないというか、分かりにくいと感じております

もう一つありまして
その上で本宗の最重要義は師弟相対の
信心ですので、私見での回答は
控えさせていただきます。

私も私見での回答ではない方が有難いです
では、(書籍・新聞)など公式に書かれている
書籍での回答を
希望したいのですがどうでしょうか?
ミライ様のブログ内にもあるよというなら
場所を教えて貰えれば拝読します
もし無いとするならば2冊の本を
引用されている方達は
「私見」=(自分一人の意見)辞典より
ということになると思うのですがどうでしょうか?
この質問もミライ様から見ると
(不信謗法・上滑り)になるのでしょうか?
10月の上旬あたりに一度ミライ様の
ブログを覗かせて頂きます

【返事が来ないので再度送信】
ミライ様

2021年9月13日に御返事を送らせて頂きましたが
まだ返信が来てないようなので
もう一度送らせて頂きます
ブログ内に書いているので読んで頂けると助かります
https://ameblo.jp/asahikawa1990/entry-12697796292.html?frm=theme

宜しくお願いします
2021年10月7日

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