法蔵 管理人様から下記の御返事がありました
管理人様の気持ちは分かります
しかしながら、上記の内容は私の個人的な考え方ではありません
『三大秘法抄』『一期弘法抄』の「戒壇」の文については、軽々に論ずべきではないと思います。もちろん今、ある時点を予測して考えれば色々なことを言えるけれども、将来どう変わるかということは本当に判りません。だいいち、日本の現在の民主主義の形だって、憲法だって、将来どう変わるか判らない。だから、そんなことに関して今、具体的な形で言う必要はないのです。
(近現代における戒壇問題の経緯と真義99p)
管理人様においても、いろいろ文句はあると思いますが、
日顕上人は将来の御遺命の戒壇について具体的な形で言う必要はないと言われているので
日顕上人の考え方に合わせるしかないと思います・・・
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あなたは、日顕上人の考え方に従うのですか?
そうであれば、将来のことを、あれこれ想像してまでして、国立戒壇の可能性を主張することはできないと思いますが、
また、日顕上人を正師と仰ぐ法華講員に対して国立戒壇の可能性を質問しても、あなたが期待するような回答は得られないでしょう。
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管理人様の気持ちはわかります
私も宗門には御遺命の戒壇が何なのか、具体的に言って欲しいですよ
しかし、御遺命の戒壇というのは未来のその時でないと明確には分からないと言うんですから
しょうがないんですよ
これで、御遺命の戒壇は「国立戒壇」ではないと教義上否定できない理由が分かって貰えましたでしょうか?
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既に説明したように、否定できないから正しいとはいえません。
現在の「国立」の意味から考えられる国立戒壇では、色々と(御遺命に関する以外の)教義上の問題点があり、とても、ベストの選択とは思えません。
仮に、法華講員に”御遺命の戒壇は「国立戒壇」ではないと教義上否定できない”と認めさせたとしても、誰も、それがベストの選択とは思わないでしょう。
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管理人様は、「御遺命の戒壇の建立の達成条件が国民の総意である」とは別の考え方があるのですか?
大変興味がある内容なので是非、お伺いしたいです
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- 国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ、事の戒法と云うは是なり(『身延相承書』)
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戒壇建立は、国主が三大秘法を信受するときであって、国民の総意ではありません。
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