【教義】顕正会会長浅井昭衛の「大聖人御遺命の国立戒壇」を粉砕す ② : 日蓮大聖人の仏法をどこまでも正しく護り、正しく弘めていく (livedoor.blog)
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2022年3月26日
ミライ様のブログに下記の質問を送りました
届いているかどうかは現在確認中
旭川と申します
ミライ様のブログ内の
【教義】顕正会会長浅井昭衛の「大聖人御遺命の国立戒壇」を粉砕す
の中から
1. 「国立戒壇」名称使用時期の見解
の内容について質問させて下さい
宗門と浅井昭衛の双方で「明治以前には『国立戒壇』という名称はなかった」と見解が一致する結果となりました。
浅井昭衛が指導する通りであれば、浅井昭衛は既に法論上の敗者ということになります。
なぜなら、「明治以前には『国立戒壇』という用語はなかった」ということは、大聖人御在世の鎌倉時代にも当然、その用語は存在しないからです。
つまり、道理の上から「大聖人御遺命の『国立戒壇』は存在しなかった」と『顕正新聞』で公式発表したのも同然です。
このなかの
宗門と浅井昭衛の双方で「明治以前には『国立戒壇』という名称はなかった」と見解が一致すると
なぜ
浅井会長は既に法論上の敗者ということになるのでしょうか?
日顕上人は
【近現代における戒壇問題の経緯と真義】
○(24p~29p)のなかで
大聖人の御書のなかに、直接に「国立戒壇」という語はどこにもないのです
ただ最後の『一期弘法抄』の内容から考えると
「国立」ではなく「国主立」と言う方が内容的には適切
大正後期から昭和にかけて
宗門の御先師の方と、他門とが法論した
その時に向こうが間違った「国立戒壇」の解釈を言ってきたので
こちらがきちんと
正しい「国立戒壇」を述べた
あくまでも日顕上人は鎌倉時代には
「国立戒壇」という日本語が存在しなかったと言われているだけで
正しい「国立戒壇」は有ると
言われております
がどうでしょうか?
2022年3月26日
旭川
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