「顕正会の主張する国立戒壇」を破す-2 | 顕正会員は日蓮正宗に帰伏するべし – 楽天ブログ (rakuten.co.jp)
御返事ありがとうございます
法華講員の方が書いているブログにはよく質問をするのですが
皆さん全く反応がないか
途中でフェードアウトしてしまう人ばかりでしたので
大変感謝しています
出来れば今後も討論させて頂くことが希望です
(※最初に少しだけ)
私のコメントをブログで取り上げていただき、ありがとうございました。
いえいえ、私は当たり前だと思っています
ブログで御遺命の戒壇の記事を書く以上
読者からの異論・反論はあってあたりまえなので
読者の異論・反論を掲載するのは当然だと思っています
そうでないとただの広告と変わらないと思うので
(通りすがりの誹謗・中傷コメントにまでは掲載していないですが)
ありの金吾様との討論は
現在、御遺命の戒壇の記事を書いている方達も見に来ていると思いますが
是非とも異論・反論が来た場合、面倒くさがらないで、積極的に御自分のブロブで取り上げて欲しいと思っております
でないといつまで経ってもこの問題は解決しないと思います
せっかくネットがあるのに効率が悪いと思います
さて本題に入らせて頂きます
赤=ありの金吾様の記事の引用
青=日顕上人の指導の引用
(4)については
私は、ありの金吾様のブロブの内容を理解したと言ったまでなので
この件に関しては(1)~(3)が解決したら
コメントさせて下さい
(その方が効率がいいと思っているので)
(1)について
国民主権・民主主義という政治形態が変わるから
「国立戒壇」が造れる訳ではないですよ
国民主権・民主主義という政治形態が変わらなくたって
現在の憲法下では
「国立戒壇」は造れます
(32p)
(日顕上人は天皇主権の時代にならば「国立戒壇」という風になるとの趣旨を話されてはいますが・・・)
ポイントは
今までは日本国憲法の「政教分離」に違反するから
「国立戒壇」は造ることが出来なかった
ということです
現在の憲法下では
「国立戒壇」を造るのに
国民主権・民主主義はもう関係ないんですよ
※ただそんなに「国立戒壇」の文字が嫌なら
(107P)
日顕上人が言われている様に
「国主立戒壇」の名称で討論しても構いませんよ
(3)について
要するに、ありの金吾様としては
日顕上人は当時の2冊の本に関して
少し書き過ぎてしまったと訂正されているだけだし
創価学会に協力してはない
ということですよね
これには2点あります
まず1点目は
(53p)
日蓮正宗としては創価学会が昭和39年の時点で
戒壇建立をさげすんでいることを知っていた
と記載されています
(61p~65p)
昭和42年には創価学会は事実上の御遺命の戒壇
つまり正本堂は本物の御遺命の戒壇で間違いはないと
断定しだした
だけど日顕上人他5人が昭和42年11月号の『大日蓮』で
「確かにその通りです」みたいなことを書かされてしまった
日顕上人は
だいたいそういう流れから発言をしてしまっている
空気というものは恐ろしいものですが
あのころはそういうものが色々あったのです
と私たちに説明されています
あのころはそういうものが色々あったのです
というのは
「言わなくてもわかるでしょ」
「そこまではっきりと言わせなくていいでしょ」
ということです
(59p)
当時書いた2冊の本は、当時
創価学会と、その関係者から正本堂の定義変更をどうしても強要された
私たち一般人がこの本を読めば
「その関係者」の意味ががなんとなく分かります
その関係者とは、そうゆう人達のことだよな・・・
確かに強要されたら断れないよな・・・
と思うとおもいます
(話は反れますが、1960年~1970年にあった
有名な創価学会の言論出版妨害事件ですね
創価学会に批判的な書籍の著書・出版社・取次店・書店を圧力をかけて出版させないようにした
そして池田会長が謝罪したという)
やはり創価学会に当時そこまでの力があったことは確かだから
国民が
身内である宗門が逆らえないのは、当然かなとおもうと思います
(86p~87p)
そういう背景において
創価学会の都合のいいように御遺命の戒壇論を書いてあげたけど
書き出したらキリがないのでこの辺までにしておきますが
————————————————-
1点目は、要するに日蓮正宗は創価学会に協力してますよね
2点目は
正本堂建立には沢山の方の御供養の協力の元建てられてますよ
その方達のことを思えば
この本のなかではっきりと「創価学会に御遺命の戒壇の教義を変更させられた」
なんて言える訳がないじゃないですか?
日顕上人はあくまでも誰も傷つけないように
当時の状況をオブラートに書かれているんですよ
要するにはっきりと言わせないで下さい・・・・・
察してください・・・・・
ということなんだと思います
本書を読めば本当のことを言いたいけど言えない
日顕上人の気持ちは、読んでいる側にも伝わると思うのですが
(87p)
当時の2冊の本は破棄することを考えたけど
事実を残す為に破棄することはやめた
正直なことを言うと
私は(創価学会に圧力をかけられて)
そういうように書かざるを得なかった
↑
破棄、要するに今で言うところの
リコール=回収ということですよね
このへんにチラッと書かれているのが
日顕上人の本音ではないかと思います
ありの金吾様の感覚では少し間違った部分を訂正しただけ
と受け取ってるのかもしれませんが
一般の方が読んだ感想は違うと思いますよ
分かりやすい例をあげるなら
参考書を発行している会社が
「圧力をかけられて事実と違うことを書かされた」とか
「あのころはそういうことがあった、空気というのは恐ろしい」とか
「あの本は破棄することを考えた」とか
そんなことを公表されて
その参考書使用しますか?
信用しますか?
私は一般常識で考えて
参考書として使えない
信用は出来ない
と思うのが普通ではないかと思いますが
どうでしょうか?
ここまで日顕上人が正直な気持ちを吐露されていて
なお、まだ
当時の書籍は、少し間違った部分があったけど
部分的に訂正した訳だから
今もまだまだ使っていけます
との感覚は宗門の身内のなかでは
信心で受け止めよう、みたいな感じで通用するとは思いますけど
一般社会では通用しないと思います
(2)についてですが
これは私の質問の意味が、ありの金吾様に伝わっていなかったですね
詳しく書くと
昭和45年5月3日の日達上人の宣言内容は
端的に書くと
〇日蓮大聖人の仏法は世界の人の為にあるのであって国教ではない
〇明治時代には「国立戒壇」と言っていたけど、現代では布教の邪魔になるから言わない
〇国教ではないから「国立戒壇」ではない
〇大御本尊安置の所が事の戒壇
というような内容だと思います
上記は
『国立戒壇論の誤りについて』と
『本門事の戒壇の本義』に出てくる内容と同じですね
この2冊の本が平成に入って
「創価学会の圧力でもって書かされてしまった」との趣旨を日顕上人が吐露されています
(58p)
日達上人の御指南のもと
正本堂の意義づけの為
『国立戒壇論の誤りについて』と
『本門事の戒壇の本義』を書かされた
『国立戒壇論の誤りについて』と
『本門事の戒壇の本義』が
昭和45年の時点で書かれていないことは承知の上で発言しています
そして最後に
平成17年に発行された日蓮正宗宗務院監修の『顕正会会長 浅井昭衛の〝最後に申すべき事〟を砕破す』の次の一節を読んで下さい。
↑
読みました、確かに平成17年の時点では「国立」の考えを否定していますね
しかしながら
私が参考書籍にしているのは
【近現代における戒壇問題の経緯と真義】
(平成16年に書かれたものを再治して新たに令和元年に日蓮正宗が発行されたものです)
ありの金吾様が提示された参考資料は
今から17年前のものですよね
その17年間の間のことをいろいろ考慮して
日蓮正宗として修正を入れて
【近現代における戒壇問題の経緯と真義】として発行したのではないでしょうか
つまり
日蓮正宗としての再周知だと私は思っております
17年前の参考資料ではなく
日蓮正宗が「国立」を否定している
最新の参考資料を提示して頂けないでしょうか?
議論はそれからだと思いますがどうでしょうか?
最後にお願いがあります
多分もう実行していると思うのですが
ありの金吾様のバックには教学に詳しい方がいると思うんですよね
御返事はその方達の意見やアドバイスをよく取り入れて
御返事頂けたら有難いです
以上が私からの回答になります
念の為
御返事はアメブロ返信メールと
ありの金吾様のブログ両方に送ります
後私のメールアドレスも載せておきます
**********@outlook.jp
(メールの方が文字数気にすることなく送れると思います)
宜しくお願い致します
2022年4月19日
旭川
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