2022年6月14日 ありの金吾様への御返事

旭川ひろし氏の国立戒壇論を破す―6 | 顕正会員は日蓮正宗に帰伏するべし – 楽天ブログ (rakuten.co.jp)

 

旭川さんへ

返事を書きましたが、今回も旭川さんのお返事は酷い内容ですね。
嘘・印象操作・屁理屈で塗り固めたお返事でした(苦笑)

前回も同じく、ありの金吾様は
「下記の文言等はない・そんな記述はない」との主張ばかりでしたね
そして私は、前回の回答で

2022年 5月22日 ありの金吾様への御返事 | 日蓮大聖人の御遺命に関する調査報告書 (ameblo.jp)

私が簡略して分かりやすく書いた主張は日顕上人の言われていることと意味は同じであると
全て論証しました、何か一つでも反論できましたか?
まず反論しきれてない以上
そのようなセリフは言えないハズです
私が簡略して書いたことと、日顕上人が書かれていることは同じ意味ですよね

いいですか
まず私は冒頭に必ず
本書の内容の要点を分かりやすくまとめると

と前置きしております
その理由は、長い文書ですとありの金吾様から「分かりずらい」との
一言反論で終わらせられてしまうのと
一般の読者が理解しやすいように分かりやすく書いているのです

ありの金吾様が言い張っているのは
「そのページには一字一句同じ文言がないではないか!」

ということではないですか

(毎回、全文記載していたら何ページになるんですか)

前回に引き続き、今回も全体を通して殆どのありの金吾様の論調は
「そのページにそんな文言は書いてない・嘘」との反論が殆どですね

今回も、ありの金吾様の上記の難癖反論できない様にしました
(一般の読者の方でも、読んで貰えれば分かると思いますし、分かりやすく書いています、是非読んでみて下さい)

※ 今後は、ありの金吾様に揚げ足を取られる反論を一切させない為
一字一句、日顕上人の指導をそのまま書きます

ですので、読者の方が読むにはかなり長い文章になると思いますがご了承下さい

さて本文の反論に入ります

1)現在の憲法下では「国立戒壇」は実現可能だから、実現可能なことを目的にするのは間違っていないについて
旭川さんは、

「憲法が改正できるのか・できないのかは
御遺命の戒壇が出来るのか・出来ないのかに係る重要な議論です」
と書いていますが、日顕上人は未来における御遺命の戒壇建立について次のように御指南されています。

「御本仏大聖人様が最後に御遺誡、また御命題として我々にお残しくださった『三大秘法抄』『一期弘法抄』の「戒壇」の文については、軽々に論ずるべきではないと思います。
もちろん今、ある時点を予測して考えれば色々なことを言えるけれども、将来どう変わるかということは本当に判りません。
だいいち、日本の現在の民主主義の形だって、憲法だって、将来どう変わるか判らない。
だから、そんなことに関して今、具体的な形で言う必要はないのです。
根本において、戒壇というのは事相だということを、大聖人もおっしゃっておりますように、事相なのだから、実際の相というものはその時でなければ明確には顕れません。
よって『三大秘法抄』『一期弘法抄』の戒壇ということは、まさにその時が来た時に、本門戒壇の大御本尊様を根本と拝しつつ、その時の御法主がその時の実状に即した形で最終の戒壇を建立するのだと、私どもは信ずべきであると思うのであります。」
(『近現代における戒壇問題の経緯と真義』98~99頁)

「憲法だって、将来どう変わるか判らない。
だから、そんなことに関して今、具体的な形で言う必要はないのです。」

日顕上人のこの御指南が、この話の結論です。

結論が出たので、以上をもってこの話は終わりです。
(1)については、今後はコメントや返事は不要です。

上記の平成16年の時点では

(31p)
政教分離ですから、国教にするというようなことは、今の憲法下においては絶対にできないのです

法律上絶対に出来ないと書いてあります
これ法律問題をクリアすればできるということですよね

(60p)
今の憲法下では絶対にありえないことです。まして天皇の国事行為は憲法に規定されていて、こと宗教に関する限りにおいては全然、法律で定められた権限がない。政教分離がきちんと決まっているのだから、そういうことは、今の憲法下においては絶対に無理なのです

このページも同じですね
平成16年の時点では法律で定められた権限がないから
「国立戒壇」は絶対に無理なのですよね

平成16年の法律の下では憲法改正の具体的な法整備が整ってないから日顕上人が具体的な内容は書けないと説明されているんですよ

(107p)
国民が総意において戒壇を建立するということになり
国民の総意でもって造るのだから

国民の総意で御遺命の戒壇というのは造られるんですよね

「憲法改正国民投票」

憲法改正国民投票とは、私たちが憲法改正に関して最終的 な意思決定をするものであり、そのための具体的な手続が「日 本国憲法の改正手続に関する法律(憲法改正国民投票法)」 に定められています。

憲法改正国民投票をすれば、私たちが憲法改正に関して最終的 な意思決定ができるんですよね

法律上から考えれば具体的な形が出来ましたよ
具体的な論議が出来るのではないですか?

(64p)
昭和42年7月11日には日達上人も
「全民衆による戒壇の建立」という主旨のことをおっしゃっている。これは現在の憲法下ですから当然のお言葉でしょう

日達上人も当時の憲法下で国立の戒壇が出来るか・出来ないか
当然の如く判断されているではないですか

現時点での法律の下で考えて「国立」の戒壇が
出来るか・出来ないかなど当然分かるでしょう

 

 

さて、ここからが法義上の反論です
日顕上人の上記の指導は必ずありの金吾様が提示してくると思っておりました

いいですか、まず2022年5月2日ありの金吾様は
しかし、憲法改正は現実的に無理ですね。

と反論されました

この意見は、ありの金吾様だけの意見ではありません
凡そ、顕正会反対のブログを書いている方達は全てこの論調です
「国立戒壇」は現在の憲法下では違法になるので現実的には無理
だから、実現不可能なことを目的にしているのは間違っているのだと
皆さん必ずブログを読むと目にしますよね
確かに昔はこの論調で正解の解釈です

しかしながら、この大前提は日顕上人の
(107p)国民の総意で造るのだから
「御遺命の戒壇は国民の総意で造るもの」との指導と
「憲法改正国民投票法」がスタートしたことで
ありの金吾様を含めこの論調は全て崩れました

だから現在の討論では、広宣流布の達成の判断は未来の法主が決めて下さいとの、このページの部分にたどり着くことになっているのです
だけど頼りたいけど、頼れないのがこのページなのです
だから国民から「意義あり」と言われるようになっているのです

そしてなぜ日顕上人が
その時が来た時に、本門戒壇の大御本尊様を根本と拝しつつ、その時の御法主がその時の実状に即した形で最終の戒壇を建立するのだと、私どもは信ずべきであると思うのであります。

との記載をされているのかは
「近現代における戒壇問題の経緯と真義」を読めば
大体分かるではないですか

(97p)
戒壇の建物は広布完成前に建ててよいとか、正本堂が広布時の戒壇の建物と想定するような、今から見れば言い過ぎやはみ出しがあるけれども、これはあくまでも正本堂の意義を『三大秘法抄』
の戒壇に作り上げようとした創価学会の背景によらざるをえなかったのです

要するに創価学会の圧力で御遺命の戒壇は広布完成前に建ててOKと書いてしまったのですよね
この見解は私も、ありの金吾様も同意ですよね

本当の御遺命の戒壇は広布完成した後に建てるものなのに
広布完成前に建ててOKと決めてしまったから

具体的な形で言えなくなったんですよ
広布完成前に建ててOKと決めてしまったら
御遺命の戒壇のゴール地点を撤去するということと同じなんですよ

だから、その時が分からなくなったのですよ

だからその時が来た時にと言葉を濁すしかできないんです

本当は、御遺命の戒壇とは広宣流布の後に行うもので、それに伴ってどのようなプロセスで
御遺命の戒壇を造るのか具体的な道筋が、宗門古来の御遺命の戒壇の建築条件の定義が存在するのではないですか?

広宣流布のゴールを撤去することによって生じる矛盾は、まだまだありますよ

その時が来た時に、本門戒壇の大御本尊様を根本と拝しつつ、その時の御法主がその時の実状に即した形で最終の戒壇を建立するのだと、私どもは信ずべきであると思うのであります。

その時とは、いつですか?
その時の御法主は、どうやって判断するのですか?
直感で決めるのですか?

その辺は、その時の御法主を信ずるべき
と言われても判断基準がなければ、あやふやな決定になってしまうではないですか

国民の総意で御遺命の戒壇を造るのは分かりますけど
その時の御法主は100%の国民の総意で造るのですか?
99%では国民の総意と認めないのですか?
国民の半数の50%でも国民の総意と認められる御法主がいれば
それに従うのですか?

その時の、法主上人のニュアンスで国民の総意の基準が変わるではないですか

その時、がどのように判断するのか文証を見せて貰ってもいいですか?

この質問に対する回答も
「文証はないけど、その時の法主が決めたことを素直に信じることが信心」とでもいうのでしょうか?

法華講員の方達及び、私達一般の人たちにその判断基準はアナウンスされないのですか
御遺命の戒壇達成の判断基準が私たちが分からなければ、「意義あり」との主張をすることもできないではないですか
私たちは御法主の決定に必ずYESと言わないければならないのですか?
そんなこと御書に書いてあるのですか?

それで本当に法華講員の方達も、一般の人達も納得するのですか?

多くの国民から御遺命達成の判断基準を作って欲しいとの要望が上がったらどう説明するか決まっているんですか?

未来のことなので判らないばかりでは国民は納得しませんよ

このアバウトな御遺命の戒壇の達成条件こそ
国民の総意の声が集中する部分だと思われます
「なんでこんなにアバウトなのかと」

結論が出たので、以上をもってこの話は終わりです。
(1)については、今後はコメントや返事は不要です。
正本堂の意義付け問題はそんな簡単には終われませんよ

 

本来は御遺命の戒壇建立時期を決定できるための明確な判断基準が宗門には存在するのではないですか?

日蓮大聖人の究極の目的である御遺命の戒壇の完結の決定権が
その時の御法主の直感なのですか?

「憲法だって、将来どう変わるか判らない。
だから、そんなことに関して今、具体的な形で言う必要はないのです。」

この文章は本音と建前の、建前の部分の説明です

(3)日蓮正宗は創価学会の圧力によって御遺命の戒壇の定義を変更せざるを得なかったのではないか?について

まず、「御遺命の戒壇の定義を変更」についてですか、具体的には何を指しているのでしょうか?

a. 正本堂を御遺命の戒壇そのものとした
b. 正本堂に一期弘法付嘱書・三大秘法抄の意義を含めた

前回の回答で私は書きましたが
御遺命の戒壇の定義変更とは私が分かりやすく言ってるだけで
正本堂の意義付のことを指しています

ですので
b. 正本堂に一期弘法付嘱書・三大秘法抄の意義を含めた
になります

このaとbについては、昭和47年の日達上人の「正本堂訓諭」を読めば明らかとなります。

正本堂の意義について日達上人は、昭和47年4月の訓諭において、
「正本堂は、一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり。
即ち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり。
但し、現時にあっては未だ謗法の徒多きが故に、安置の本門戒壇の大御本尊はこれを公開せず、須弥壇は蔵の形式をもって荘厳し奉るなり。」
(『大日蓮 昭和47年6月号』2頁)
と御指南されました。

つまり、日達上人は「訓諭」において、
「現時にあっては、いまだ謗法の徒多きが故に、広宣流布の達成には至っていない。したがって現時点における正本堂は、未来の広宣流布の暁に本門戒壇たることが期待される堂宇である」
と御指南されたのであり、正本堂は「一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む」とはいえ、当時は未だ御遺命の戒壇そのものではないことを明らかにされたのです。

日達上人は、この訓諭において正本堂の意義を確定されたのです。
そして、日達上人の正本堂に関する最終的な御指南は、どこまでもこの「訓諭」に尽きるのですから、昭和47年以前に誰がどんなことを言ったとしても、トップである日達上人が「訓諭」で訂正遊ばされているのです。

つまり、これでaの「正本堂を御遺命の戒壇そのものとした」という説は間違いであることが分かります。

上記の訓諭こそ、御遺命の定義を変更されられてしまった宣言ではないですか

上記の訓諭の現代の解釈の仕方は日顕上人が説明されています

(97p)
戒壇の建物は広布完成前に建ててよいとか、正本堂が広布時の戒壇の建物と想定するような、今から見れば言い過ぎやはみ出しがあるけれども、これはあくまでも正本堂の意義を『三大秘法抄』の戒壇に作り上げようとした創価学会の背景によらざるをえなかったのです

(98p)
あのなかでは、王法や勅宣・御教書に対する解釈を述べるなかで、「建築許可書」というようにも書いてしまってある

 

まさに(97p・98p)に書かれていることが
下記の言い過ぎやはみ出し部分ですよね

「現時にあっては、いまだ謗法の徒多きが故に、広宣流布の達成には至っていない。したがって現時点における正本堂は、未来の広宣流布の暁に本門戒壇たることが期待される堂宇である」

広宣流布の達成前に御遺命の戒壇を建ててOKと書かされてしまったんですよね
正本堂が広布時の戒壇の建物と想定するようなことを書かされてしまった、そして「建築許可書」があれば御遺命の戒壇を造ってOKとしたんですよね

「現時にあっては、いまだ謗法の徒多きが故に、広宣流布の達成には至っていないけど
正本堂に一期弘法付嘱書・三大秘法抄の意義を含めたから広宣流布前に御遺命の戒壇を建ててOKになったのですよね

いいですか
広宣流布の達成前に御遺命の戒壇を建ててOK
「建築許可書」があれば御遺命の戒壇を造ってOK
この2点を宗門に許可を貰えば、正本堂の意義付けはほぼ成功なんですよ

この2点の許可を貰うということは、広宣流布のゴールを撤去することに成功したということなんですよ

後は、その後に続く言葉はなんでもいいんですよ
「後は、未来の法主が自分のニュアンスで広宣流布が達成したと決めて下さい」みたいなフレーズを入れればいいのですから

この2点を許可した以上は宗門は
したがって現時点における正本堂は、未来の広宣流布の暁に本門戒壇たることが期待される堂宇である」
と書くしかないんですよ

一番大事な訓諭の部分が御遺命の戒壇の定義と違っていると日顕上人は吐露されているではないですか

この訓諭は創価学会の為に作られた宣言ですよ
創価学会以外に誰がこの訓諭を信用するのですか?

「近現代における戒壇問題の経緯と真義」は一般の人も購入可能ですよ

一般の人がこの宣言を読んだ時に、信憑性がないなと感じるのは当然ではないですか

「一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む」とはいえ、当時は未だ御遺命の戒壇そのものではないことを明らかにされたのです。

一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含んでしまったら御遺命の戒壇そのものではないですか
こんな意義を含めてしまったら未来の法主は直感で広宣流布の時期を判断しなくてはならないですか

そもそも日蓮正宗が御遺命の戒壇と断定していないからなんなんですか
正本堂に間違った意義付けをしてしまったのが問題なんですよ
正本堂は本当は1mmも一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義なんて含まれてないですよね

そして、議論の対象となるのは、bの「正本堂に一期弘法付嘱書・三大秘法抄の意義を含めた」ことのみとなります。

なお、この件については、私のブログの『隠された「正本堂訓諭」の全文』でも詳しく取り上げています。

さて、bの「正本堂に一期弘法付嘱書・三大秘法抄の意義を含めた」ことについては、創価学会の圧力によるものと考えるのではなく、素直に日達上人の御指南を拝するのが日蓮正宗の信心のあり方なのです。

日蓮大聖人は『一代聖教大意』において、「この経は相伝に有らざれば知り難し」(『平成新編御書』92ページ)と仰せられています。

相伝とは相承・付嘱等と同じ意味で、大聖人の仏法において、師匠より弟子に正しく法を伝授していく大事を、大聖人はこのように仰せられたのです。

そして、御遺命の戒壇を論じるにあたって最も大事なことは、大聖人の血脈を相承されている時の御法主上人がその時の時代性や政治体制などを考慮されて、どのように御指南されるかということであり、その御指南に従うことが日蓮正宗の本来の信仰のあり方なのです。

ゆえに、大聖人は『百六箇抄』において、
「但し直授結要付嘱は唯一人なり。白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為し、日蓮が正義悉く以て毛頭程も之を残さず、悉く付嘱せしめ畢んぬ。上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。」
(『平成新編御書』1702ページ)
と仰せられているのです。

まず正本堂という建物は創価学会から日蓮正宗へのプレゼントだったという日顕上人の説明を書きます

(47p)
「正本堂」という言葉を初めて使われて、しかもそれを「寄進」すると言うから受けとるといわれたのです

(48p)
正本堂の寄進を受けるという意味から、正本堂の色々な在り方を初めてのべられておるわけだが

(49p)
正本堂を寄進したいという池田の言葉を受ける形でおっしゃったように拝せられるのです

そして上記に書かれた、ありの金吾様が言われている要点をまとめると

御書には、プレゼントの建物も
一期弘法付嘱書・三大秘法抄の意義を含めてOKとは書いてないけど
日達上人が、そう言われるんだから
日達上人の言うことを聞くのが日蓮正宗の信心です

ということですよね

そんな無茶苦茶な説明を誰が納得するのですか

この訓諭で本当に一般の人達も、法華講員の方達も納得するのですか?

法華講員の方達が文証を重要視して討論しているのに
文証がなくても猊下が許可すれば、それでいいとなると
もう御書の存在は関係ないではないですか

法華講員も、我々一般人も、なんで正本堂に一期弘法付嘱書・三大秘法抄の意義を含めたのか猊下に質問もできないのですか?

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「正本堂に一期弘法付嘱書・三大秘法抄の意義を含めた」ことについては日顕上人は創価学会の圧力であったとの趣旨を話されております

(55p)
大石師の例からしても、宗門の全体が学会のそのような考えの在り方に、ずっと引きずれていったような意味があるのです

(59p・60p)
書いた2冊のなかにはどうしても当時、創価学会が正本堂の意義付けに狂奔し、その関係者からの強力な要請もあって、本書の趣旨からすれば行き過ぎが何点かあったようにも、今となっては思うのです

(65p)
昭和42年11月号の『大日蓮』に正本堂建立発願式の特集として「載せるから何か書け」と言われたのです
それで高木伝道房、私、藤本栄道房、椎名法英房、大村寿顕房、菅野慈雲房等が書いているのですけれども、これが当時の空気に飲まれてしまっていて、だいたいそういう流れの上から発言をしてしまっているのです
空気というのは恐ろしいものですが、あのころはそういうものが色々あったのです

(97P)
昭和47年の『国立戒壇論の誤りについて』と昭和51年の『本門事の戒壇の本義』は、先程から言っているように私が書いたけれども、そこはたしかに、戒壇の建物は広布完成前に建ててよいとか、正本堂が広布時の戒壇の建物と想定するような、今から見れば言い過ぎやはみ出しがあるけれども、これはあくまで正本堂の意義を『三大秘法抄』の戒壇に作り上げようとした創価学会の背景によらざるをえなかったのです

(98p)
あのなかでは、王法や勅宣・御教書に対する解釈を述べるなかで、「建築許可書」というようにも書いてしまってある
これは当時の在り方において、学会からの具体的な勧誘もあり、私がそのように書いてしまったのです

(101p)
この奉安堂については、池田大作が正本堂に関して『三大秘法抄』だ『一期弘法抄』だと言って強いて意義付けしたようなことは、私は何も言ってないし、宗門でももちろん言っていません

日顕上人は
正本堂に「一期弘法付嘱書・三大秘法抄の意義を含めた」ことについては、創価学会の圧力によるものとの趣旨を吐露されています

旭川さん
「(60p)
「日顕上人は、この浅井会長の抗議は命がけだったと浅井会長に感謝の言葉を述べております」
『近現代における戒壇問題の経緯と真義』の60頁にも、こんな文言はありません!
嘘をつくのは止めて下さい!
こんな引用の仕方は大問題ですよ。実際の『近現代における戒壇問題の経緯と真義』の60頁では、次のようになっています。
「そのころ池田は、正本堂が御遺命の戒壇で、御遺命の達成であると、そのものずばり言っておりました。
学会のほうでは正本堂が『三大秘法抄』の戒壇そのものであると言っていたのです。
それに対して、浅井から色々と横槍がたくさん出てきたのですがこの時、浅井は一往、捨て身の考え方で抗議したということは言えると思います。
しかし、その色々な面において、「国立戒壇」ということを言い出しているわけで、その浅井の「国立戒壇」の主張は何かと言えば、先程言った田中智学の内容なのです。」


「そのころ池田は、正本堂が御遺命の戒壇で、御遺命の達成であると、そのものずばり言っておりました。
学会のほうでは正本堂が『三大秘法抄』の戒壇そのものであると言っていたのです。


池田会長は正本堂が御遺命の戒壇で、御遺命の達成とズバリ言っていたんですよね

(85p)
池田大作は浅井の抗議や色々な問題があって、結局、正本堂が御遺命の戒壇であると正面を切ってはっきりとは言えなくなったのです

正本堂が御遺命の戒壇と池田会長が言えなくなった要因として
日顕上人は浅井会長の抗議を含めているではないですか

これは普通に考えて日蓮正宗に対しての功績と
日顕上人が思われている証拠の言葉ではないですか?

命がけの抗議でも、捨て身の考え方で抗議したでも
意味は同じではないですか

ありの金吾様は【こんな引用の仕方は大問題ですよ】と言われますが
意味は同じではないですか

大事なのは
この時、浅井は一往、捨て身の考え方で抗議したということは言えると思います。

この一文が書かれていることが大事なのです
この文章は間違った考えの人には用いない文面です

旭川さん
「「あくまでも浅井会長の抗議や色々な問題があったから日蓮正宗は正本堂を御遺命の戒壇と断定させられずに済んだ」
ということです」
間違った解釈ですね。あくまでも、日達上人が正本堂を御遺命の戒壇であると認められなかったのです。それは、昭和47年の日達上人の「正本堂訓諭」を読めば明らかです。

訓諭こそ、御遺命の定義を変更されられてしまった宣言ではないですか

つまり、日達上人は「訓諭」において、
「現時にあっては、いまだ謗法の徒多きが故に、広宣流布の達成には至っていない。したがって現時点における正本堂は、未来の広宣流布の暁に本門戒壇たることが期待される堂宇である」
と御指南されたのであり、正本堂は「一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む」とはいえ、当時は未だ御遺命の戒壇そのものではないことを明らかにされたのです。
と言うことですよね

一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含んでしまったら
御遺命の戒壇そのものではないですか
こんな意義を含めてしまったら未来の法主は直感で広宣流布達成の時期を判断しなくてはならないですか

そもそも日蓮正宗が御遺命の戒壇と断定していないからなんなんですか
正本堂に間違った意義付けをしてしまったのが問題なんですよ
正本堂は本当は1mmも一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義なんて含まれてないですよね

 

・「国立戒壇とか国教というようなことは御書に全くない」について

日顕上人は、『近現代における戒壇問題の経緯と真義』で、次のように「顕正会の主張する国立戒壇」を否定されているのです。

「国主立とは、『一期弘法抄』の御文のそのものすばりなのであります。

また同時に、その内容を考えてみたとき、今は主権在民だから国主は国民としたならば、こういう主旨のことは日達上人も仰せになっているし、学会も国立戒壇に対する意味において色々と言ってはいたわけです。
だから国主が国民であるならば、国民が総意において戒壇を建立するということになり、国民の総意でもって造るのだから、そういう時は憲法改正も何もなく行われることもありうるでしょう。
ところが、国立戒壇ということにこだわるから、あくまで国が造るということになり、国が造るとなると直ちに国の法律に抵触するから、どうしても憲法改正ということを言わなければならないような意味が出て、事実、浅井もそのように言っているわけです。
だから国主立、いわゆる人格的な意味において国民全体の総意で行うということであるならば、憲法はどうであろうと、みんながその気持ちをもって、あらゆる面からの協力によって造ればよいことになります。」
(『近現代における戒壇問題の経緯と真義』107~108頁)

上記を読んでも日顕上人は
「顕正会の主張する国立戒壇」を否定されていないですよ

【浅井会長と日顕上人の主張】
国が造るとなると直ちに国の法律に抵触するから、どうしても憲法改正ということを言わなければならないような意味が出て、事実、浅井もそのように言っているわけです。

【日顕上人主張】
(31p)
そらからもう一つは、政教分離ですから、国教にするというようなことは、今の憲法下においては絶対にできないのです


実際に見比べてみればいいではないですか
二人とも、現在の憲法下では国が造るとなると法律に抵触するから国立の戒壇は造れないとの主張は一致していますよね

全然、日顕上人は顕正会の主張する国立戒壇論を否定してないじゃないですか、寧ろ法律面で考えると平成16年の時点では法整備が整ってないから国立の戒壇が出来ないとの見解に同意ではないですか

そもそも御遺命の戒壇は国民の総意で造るものと
一般の人に説明したら
「要するに国立で造る建物のことだよね」と理解するではないですか

 

旭川さん
「(70p~73p)
(中略)
そこで宗門は昭和45年4月22日と昭和45年4月27日の会議で
正本堂は現時点では御遺命の戒壇と同意義であるとの定義にした
その御遺命の戒壇である正本堂はどこでも・どんな場所でも建ててOKと決めた」
実際には、『近現代における戒壇問題の経緯と真義』の70~73頁に次のような文言はありません。
「正本堂は現時点では御遺命の戒壇と同意義であるとの定義にしたその御遺命の戒壇である正本堂は」むしろ、
『近現代における戒壇問題の経緯と真義』の71~73頁では、日達上人が正本堂は御遺命の戒壇ではないことを御指南されていたことが明かされていますから、旭川さんは嘘をついていることになります。

では本当にそうなのか、本文そのまま記載します
しっかり見比べて下さい

(71p)
正本堂はまだ出来ていなかったけども、その定義についておっしゃったのであります。これは、戒壇の御本尊様が事であるから、戒壇の御本尊様のまします所は
いずこなりとも
場所にかかわらず
事の戒壇であるということを御指南になったのです

辞書を使って説明します
①いづこ(どこ)なりとも(最低限の希望)
要するに最低限の希望でどこでもいいよということですよね
②場所にかかわらずとは
どの場所に建ててもOKということですよね

私の言っている内容と、日顕上人が言われている内容は同じではないですか

————————————————

さて今度はありの金吾様が言われている

むしろ、『近現代における戒壇問題の経緯と真義』の71~73頁では、日達上人が正本堂は御遺命の戒壇ではないことを御指南されていたことが明かされていますから、旭川さんは嘘をついていることになります。

について反論していきます

そして(71p~73p)だけでなく、日顕上人の話は(74p)も続きます

そこで
—-中略=

「正本堂は、一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり
即ち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり。
但し、現時にあっては未だ謗法の徒多きが故に、安置の本門戒壇の大御本尊はこれを公開せず、須弥壇は蔵の形式をもって荘厳し奉るなり。」
(『大日蓮 昭和47年6月号』2頁)
ということを仰せであります
このなかの「本門寺の戒壇たるべき大殿堂」というところが、また一つの解釈があるのです
「たるべき」ということは、そうであるべきということにおいては、現在はその意義をふくんでいる建物だけれども

そこでというのは(71p~73p)のいろいろな経緯を総合した結果
訓諭を出すに至ったということです

正本堂は一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含んでたんですよね

一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含んだら御遺命の戒壇ということではないですか

そもそも日蓮正宗が御遺命の戒壇と断定していないからなんなんですか
正本堂に間違った意義付けをしてしまったのが問題なんですよ
こんな意義を含めてしまったら未来の法主は直感で広宣流布達成の時期を判断しなくてはならないですか
正本堂は本当は1mmも一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義なんて含まれてないですよね

旭川さん
「広宣流布していなくても御遺命の戒壇は造ってOKと決めた
(97p)
広宣流布完成前に建てていい」

このことに関しては、実は顕正会も同意しています。
なぜなら、顕正会は昭和45年9月11日の確認書の時点では、正本堂が将来的に御遺命の戒壇となり得ることを認めているからです。

これも、私が質問する逆の立場だったら、間違いなく
ありの金吾様は

そんな文言などありません、姑息な真似が辞めて下さい
と言うんじゃないですか?

確認書には上記のような文言は見当たりません
それに近いニュアンスもないです

確認書

お互い信者の間で話あいの結果、誤解がとけ相互に友好的な理解と合意に達したので御報告申し上げます

1.正本堂は三大秘宝抄、一期弘法抄にいうところの最終の戒壇であるとは現時において断定はしない
昭和45年9月11日

と書いてあるだけですよ
(97p)
「広宣流布完成前に建てていい」


どこに上記の文言があるのですか?
それに近いニュアンスの内容もないではないですか

この確認書は正本堂が現時点で御遺命の戒壇と断定できるか・出来ないかの話ですよ

広宣流布前に御遺命の戒壇を建てていいか悪いかの話ではないですよ

逆にですよ現時において断定はしない
と確認書で合意したにも関わらず

正本堂の意義について日達上人は、昭和47年4月の訓諭において

「正本堂は、一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり

日蓮正宗は正本堂を一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含めてしまったんですよね

何故ですか?

旭川さん
「建築許可書があれば御遺命の戒壇は造ってOKと決めた
(98p)
「建築許可書」というようにも書いてしまってある」

このことについて、日顕上人は次のように訂正遊ばされています。

「あの二書は正本堂が出来る時と出来たあとだったが、浅井の色々な問題に対処することも含めておるわけで、強いて言えば全部、正本堂そのものに関してのことなのであります。
そういうことですから、正本堂がなくなった現在、その意義について論ずることは、はっきり言って、全くの空論であると言ってよいと思います。

あのなかでは、王法や勅宣・御教書に対する解釈を述べるなかで、「建築許可証」というようにも書いてしまってある。
これは当時の在り方において、学会からの具申的な勧誘もあり、私がそのように書いてしまったのです。
けれども、今考えてみると、やはり今は、勅宣・御教書は、その現代的な拝し方としても、そういう軽々しいものとして考えるべきではなく、もっと深い背景的意義を拝すべきと思うのです。
(『近現代における戒壇問題の経緯と真義』98頁)

2冊の本に書かれていた
建築許可書があれば御遺命の戒壇は造ってOKと書かされたことは
間違いだったんですよね

創価学会は
日蓮正宗から建築許可書があればOKと許可を貰って
都道府県知事から建築業の許可を貰って
正本堂は完成したのですよね

だとすると
その間違った正本堂に三大秘宝抄・一期弘法抄の意義を含めてることが間違いなんですよ

さらに正本堂に三大秘宝抄・一期弘法抄の意義を含めさせた
2冊の本は間違いだったということです
その意義について論じていた
『国立戒壇論の誤りについて』と『本門事の戒壇の本義』は
空論(現実ばなれしていて役に立たない議論や理論。)なんですよ

だから未だに法華講員の方達は
『国立戒壇論の誤りについて』と『本門事の戒壇の本義』を御遺命の戒壇の定義の根拠としているから
間違っていると言われているんです

「訂正したんだからいいでしょ」という問題ではないです

日顕上人が訂正されたのは分かりました
では本当の御遺命の戒壇が建つ為の条件とは何ですか?

ここまで日顕上人が正本堂の意義付け問題を吐露されている以上
本当の御遺命の戒壇の建築条件をはっきり書ける訳ないですよね

今考えてみると、やはり今は、勅宣・御教書は、その現代的な拝し方としても、そういう軽々しいものとして考えるべきではなく、もっと深い背景的意義を拝すべきと思うのです。

ここの文章が意味することは、アバウト過ぎて表面上で読んでも分からないですよ
『国立戒壇論の誤りについて』と『本門事の戒壇の本義』によって
本当の御遺命の戒壇の定義が
広宣流布していなくても造ってOK
建築許可書があれば作ってOK
にしてしまった
本当の御遺命の戒壇の建築条件がなくなってしまったんですよ
要するにゴールがなくなってしまったんですよ
だから表面上の指導(建て前)の部分でこのようなアバウトな書き方をするしかないのですよ

これでは、その時の法主がオリジナルの直感で御遺命の戒壇の建築条件を決めるしかないではないですか
そんな決断理由で国民は納得するのですか?
法華講員の方達もこのような経緯では納得できないのではないですか?

上記の内容を
文章の奥に秘められた意味、本音と建て前の本音の部分で表すと

本当の御遺命の戒壇の定義とは
広宣流布達成前に造ることはNG
建築許可書ではない
国民の総意で造るもの
勅宣・御教書は現代的な拝し方を考える

要するに「国立」の手続きではないですか

 

旭川さん
「ありの金吾様が引用された
「国立戒壇とか国教というようなことは御書に全くない」
のこの部分は
正本堂の意義付けの為に用意された
創価学会の為に用意した表面上の指導ですよ

ついでに言っておきますが
同じページに書いてありますが、これと同時期に行われた
「国立戒壇の名称不使用宣言」なるものも理屈は同じです」

本当に「表面上の指導」だったのでしょうか?
日顕上人は創価学会が破門され正本堂が無くなった現在でも、「顕正会の主張する国立戒壇」は間違いであると次のように述べられています。

「結局、道理から言っても「国立戒壇」は誤りですから、『国立戒壇論の誤りについて』のなかにおいて「国立戒壇が間違いだ」と言ったことは正しかったと思っております。」
(『近現代における戒壇問題の経緯と真義』89頁)

ここで使用されている「道理」の意味は
平成16年現在の法律の下では、憲法を改正する為の法整備が整っていないから日顕上人は道理として考えて「顕正会の主張する国立戒壇」は出来ないと言っているんですよ

 

・創価学会に対しては日蓮正宗の権限も通用しなかったのか?
旭川さん
「日蓮正宗が創価学会を破門した経緯は
(94p~95p)に書いてあります
(中略)
このような事が本当の権限が通用しない例と思われますがどうでしょうか?」
この「日蓮正宗が創価学会を破門した経緯」とは、いわゆる「本門寺改称の陰謀」と密接な関係があります。
それでは、『近現代における戒壇問題の経緯と真義』の93~94頁では、実際にどのように記されているのか拝見してみましょう。
「その年の十月十三日には大石寺開創七百年の慶讃大法要が行われ、私はこの時の「慶讃文」で、(中略)本門寺の公称は未来だということを述べたのです。
(中略)
私は信念をもっているのです。
いくらなんでも、あのような間違った流れや様々な形のあったなかで、しかも池田のわがまま勝手な姿の色々と存するなかにおいて、今現在、直ちに「本門寺の戒壇」と称すべきではないと思っていました。
しかし池田は、おそらくあの大石寺開創七百年慶讃大法要の時に、この私が「大石寺を本門寺と改称したい」とか、「改称する」と言うことを期待していたと思うのです。
それなのに「未来のことだ」と言ったものだから、怒ったのでしょう。
だけど色々な状況上、私は一宗を統率させていただくという意味において、安易に「本門寺と改称する」などとは言えないし、また、あそこで「本門寺にする」とか、「本門寺になる」というような意味のことを言わなくて、私はよかったと思っておるのであります。」
(『近現代における戒壇問題の経緯と真義』93~94頁)このように、「本門寺改称」の例からも分かるように、創価学会は教義に関しては日蓮正宗の権限を認めるしかなかったのです。


(55p)

大石師の例からしても、宗門の全体が学会のそのような考えの在り方に、ずっと引きずれていったような意味があるのです

(59p・60p)
書いた2冊のなかにはどうしても当時、創価学会が正本堂の意義付けに狂奔し、その関係者からの強力な要請もあって、本書の趣旨からすれば行き過ぎが何点かあったようにも、今となっては思うのです

(65p)
昭和42年11月号の『大日蓮』に正本堂建立発願式の特集として「載せるから何か書け」と言われたのです
それで高木伝道房、私、藤本栄道房、椎名法英房、大村寿顕房、菅野慈雲房等が書いているのですけれども、これが当時の空気に飲まれてしまっていて、だいたいそういう流れの上から発言をしてしまっているのです
空気というのは恐ろしいものですが、あのころはそういうものが色々あったのです

(79p)
(3)渉外面の支配(4)信者に対する統率権の支配(5)墓地、典礼の執行権の委譲(6)総代による末寺支配が必要ですとあります
末寺の総代のほとんどが学会員であったことは、みんな承知していると思います

(97P)
昭和47年の『国立戒壇論の誤りについて』と昭和51年の『本門事の戒壇の本義』は、先程から言っているように私が書いたけれども、そこはたしかに、戒壇の建物は広布完成前に建ててよいとか、正本堂が広布時の戒壇の建物と想定するような、今から見れば言い過ぎやはみ出しがあるけれども、これはあくまで正本堂の意義を『三大秘法抄』の戒壇に作り上げようとした創価学会の背景によらざるをえなかったのです

(98p)
あのなかでは、王法や勅宣・御教書に対する解釈を述べるなかで、「建築許可書」というようにも書いてしまってある
これは当時の在り方において、学会からの具体的な勧誘もあり、私がそのように書いてしまったのです

(101p)
この奉安堂については、池田大作が正本堂に関して『三大秘法抄』だ『一期弘法抄』だと言って強いて意義付けしたようなことは、私は何も言ってないし、宗門でももちろん言っていません

残念ながら日蓮正宗が創価学会に反抗できたのは
平成2年以降ではないでしょうか
平成2年以前は創価学会の教義に従っています
平成2年から創価学会に反抗しても遅いんですよ
もう正本堂も完成されてしまったではないですか
2冊の本も書かされた後ではないですか

 

・「浅井の抗議」について
旭川さん
「浅井会長が抗議をした内容は「国立否定」の訂正ですよねそして日顕上人は一分でも浅井会長の抗議でもって
創価学会は正本堂を御遺命の戒壇であると断定できなくなったのですよねということは結局は2冊の本で書かされた「国立の否定論」は通用しなかった
ということですよね」
「浅井の抗議」の内容を国立戒壇否定の訂正に絞ると、成功していないと思います。
なぜなら、昭和45年に日達上人が「国立戒壇」という名称は使用しないと御指南され、その後も日蓮正宗ではこの方針が変わっていないからです。旭川さん
「昭和45年4月22日と昭和45年4月27日の宗門の会議で
(中略)
御遺命の戒壇は国立ではなく、御戒壇様がましませば
どこでも・なんでもOKにして貰ったんですよね」
このことについては先述のように、正本堂は御遺命の戒壇ではないと日達上人が御指南されていたのです。
詳しくは、『近現代における戒壇問題の経緯と真義』の71~73頁を読んで下さい。

(74P)
そこで昭和47年4月28日に、日達上人は妙信講への色々な回答の意味を含めて、正本堂の全面的な定義をお示しになったのであります。その「訓諭」には
「正本堂は、一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり
即ち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり。
但し、現時にあっては未だ謗法の徒多きが故に、安置の本門戒壇の大御本尊はこれを公開せず、須弥壇は蔵の形式をもって荘厳し奉るなり。」
(『大日蓮 昭和47年6月号』2頁)
ということを仰せであります
このなかの「本門寺の戒壇たるべき大殿堂」というところが、また一つの解釈があるのです
「たるべき」ということは、そうであるべきということにおいては、現在はその意義をふくんでいる建物だけれども

そこでというのは71p~73pのいろいろな経緯を総合した結果
訓諭を出すに至ったということです

正本堂は一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含んでたんですよね

一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含んだら御遺命の戒壇ということではないですか

訓諭は御遺命の定義を変更されられてしまった宣言ではないですか
国立戒壇名称不使用前言は創価学会の為に作ってあげた宣言ではないですか
2022年 5月22日 ありの金吾様への御返事 | 日蓮大聖人の御遺命に関する調査報告書 (ameblo.jp)

正本堂の意義付けが間違っているなら
国立を否定した『国立戒壇論の誤りについて』の論調が間違えだと分かるではないですか

日顕上人が「近現代における戒壇問題の経緯と真義」を表された以上
訓諭は空論となります

さらに憲法改正国民投票法の登場で「国立」の議論が出来るようになりました
(60p)
この時、浅井は一往、捨て身の考え方で抗議したということは言えると思います。
(85p)
池田大作は浅井の抗議や色々な問題があって、結局、正本堂が御遺命の戒壇であると正面を切ってはっきりとは言えなくなったのです

これが日顕上人に本音を言わせる引き金になったのではないですかね

そもそも日蓮正宗が御遺命の戒壇と断定していないからなんなんですか

正本堂に間違った意義付けをしてしまったのが問題なんですよ
こんな意義を含めてしまったら未来の法主は直感で広宣流布の時期を判断しなくてはならないですか
正本堂は本当は1mmも一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義なんて含まれてないですよね

旭川さん
「要は「日達上人は、正本堂を御遺命の戒壇だと断定されていません。」
とありの金吾様は断言されていますが実際の経緯は
「浅井会長の抗議や【色々な問題】があって」
正本堂が御遺命の戒壇と言えなくなったということでよろしいですね」あくまでも、日達上人が正本堂を御遺命の戒壇であると認められなかったのです。
日達上人は一貫して正本堂を御遺命の戒壇だと断定されていないのです。

正本堂は一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含んでたんですよね

一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含んだら御遺命の戒壇ということではないですか

そもそも日蓮正宗が御遺命の戒壇と断定していないからなんなんですか
正本堂に間違った意義付けをしてしまったのが問題なんですよ
正本堂は本当は1mmも一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義なんて含まれてないですよね

・妙信講は正本堂が御遺命の戒壇の意義を含むことを認めていた件について
旭川さん
「では私からの反論ですが
①正本堂にて御開扉を願い出ることが何故
正本堂が御遺命の戒壇の意義を含むことを認めていることになるのか説明して貰えますか?妙信講は大御本尊様の所に行くことが主目的であって
なければ妙信講は行かないですよね麻薬をやっている親の元に行く子供は
親の麻薬を認めることになるのですか?
子供は親に注意するのではないですか?」
妙信講は昭和48年5月だけでなく、昭和49年4月にも正本堂にて御開扉を願い出ています。
②宗門に呼ばれて行ったのならともかく、2回も願い出ていますよね。
➂「子供は親に注意するのではないですか?」と旭川さんは書いていますが、妙信講は正本堂が御遺命の戒壇の意義を含むことについて抗議したのでしょうか?
正本堂が御遺命の戒壇の意義を含むことに対して、妙信講も特に問題とは思わなかったので、黙って正本堂での御開扉を願い出たのではないですか?そもそも、顕正会は昭和45年9月11日の確認書の時点では、正本堂が将来的に御遺命の戒壇となり得ることを認めています。
①の私の質問に対するありの金吾様の回答が②➂ですね
【①について】
回数の問題ではないですよ親に100回会いに行ったって、その人の罪を認める事にはならないですよ
【②について】
(60p)
それに対して、浅井から色々と横槍がたくさん出てきたのですが、
この時、浅井は一往、捨て身の考え方で抗議したということは言えると思います。
(85p)
池田大作は浅井の抗議や色々な問題があって、結局、正本堂が御遺命の戒壇であると正面を切ってはっきりとは言えなくなったのです
浅井会長が抗議したことは日顕上人が証言しています

日顕上人が認められているのですから、ありの金吾様が口出しすることはできません

・『国立戒壇論の誤りについて』と『本門事の戒壇の本義』について
旭川さん
「日顕上人は上記の2冊を(87p)
現代では破棄の必要性がある書籍と認められているんですよね」嘘を書くのは止めましょう!
実際には『近現代における戒壇問題の経緯と真義』の87頁では次のようになっています。
「あの書を廃棄すべきかとも考えたけれども、私としては廃棄するべきではないと思ったわけです。
やはり日達上人のもとで私が御奉公させていただいたのだし、当時の宗門の流れの上から、その時その時の事実は事実として、きちんと残しておいたほうがよいと思うのです。」
「あの書を廃棄すべきかとも考えたけれども、私としては廃棄するべきではないと思ったわけです。
上記を一般の人が読んだら
「要するに証拠が残っているから破棄したくても破棄できないんだな」と思うじゃないですか

 

旭川さん
「正本堂が存在することは、広宣流布への大きな妨げになるなら
2冊の本が存在することは、広宣流布への大きな妨げになるんですよ正本堂が御遺命の戒壇の一部と認められてしまったのは
「国立戒壇論の誤りについて」及び
「本門事の戒壇の本義」のせいですよでしたら、この2冊も撤去しない限り、元通りにはならないんですよ」
このことについて、日顕上人は次のように述べられており、創価学会が破門され正本堂が無くなった現在から見れば、「言い過ぎやはみ出し」があったなどと訂正遊ばされているのです。
「昭和四十七年の『国立戒壇論の誤りについて』と五十一年の『本門事の戒壇の本義』は、先程から言っているように私が書いたけれども、そこにはたしかに、戒壇の建物は広布完成前に建ててよいとか、正本堂が広布時の戒壇の建物と想定するような、今から見れば言い過ぎやはみ出しがあるけれども、これはあくまで正本堂の意義を『三大秘法抄』の戒壇に作り上げようとした創価学会の背景によらざるをえなかったのです。
つまり、あの二書は正本堂が出来る時と出来たあとだったが、浅井の色々な問題に対処することも含めておるわけで、強いて言えば全部、正本堂そのものに関してのことなのであります。
そういうことですから、正本堂がなくなった現在その意義について論ずることは、はっきり言って、全くの空論であると言ってよいと思います
あのなかでは、王法や勅宣・御教書に対する解釈を述べるなかで、「建築許可証」というようにも書いてしまってある。
これは当時の在り方において、学会からの具申的な勧誘もあり、私がそのように書いてしまったのです。
けれども、今考えてみると、やはり今は、勅宣・御教書は、その現代的な拝し方としても、そういう軽々しいものとして考えるべきではなく、もっと深い背景的意義を拝すべきと思うのです。」
(『近現代における戒壇問題の経緯と真義』97~98頁)
この訂正文こそ正本堂の意義付けを空論とする文証ではないですか
その意義とは、訓諭において
「正本堂は、一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり」と言われた
一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含ませた部分のことですよね
正本堂に一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含ませる為に
創価学会に書かされたのが
「国立戒壇論の誤りについて」と「本門事の戒壇の本義」ですよね
「国立戒壇論の誤りについて」と「本門事の戒壇の本義」の趣旨は国立の否定ですよね

それが2書が全くの空論(現実ばなれしていて役に立たない議論や理論)
なんですよね

戒壇の建物は広布完成前に建ててよいとか、正本堂が広布時の戒壇の建物と想定するような、今から見れば言い過ぎやはみ出しがあるけれども


一番大事な御遺命の戒壇の定義の部分が間違っているんですよね

「国立戒壇論の誤りについて」及び「本門事の戒壇の本義」の2書は
全くの空論(現実ばなれしていて役に立たない議論や理論)
ですよね

日顕上人が
戒壇の建物は広布完成前に建ててよいとか、正本堂が広布時の戒壇の建物と想定するような、今から見れば言い過ぎやはみ出しがあるけれども、

と訂正されたのは分かりました
だからこそ、日顕上人は2冊の本を本音では破棄されたいんですよ
公式の場で「2冊の本は間違っているので破棄して下さい」なんて言える訳ないではないですか
日顕上人はそのことを、はっきりとは言えないけど
本音のニュアンスを隠れて表現されているのが
「近現代における戒壇問題の経緯と真義」なんですよ

つまり2冊の本は訂正+破棄が日顕上人の本音です

まだまだありますよ
今考えてみると、やはり今は、勅宣・御教書は、その現代的な拝し方としても、そういう軽々しいものとして考えるべきではなく、もっと深い背景的意義を拝すべきと思うのです。

2冊の本で御遺命の戒壇のゴール地点を撤去してしまったから
日顕上人は表面上このようなアバウトな書き方をするしかないのですよ

ここの文章が意味することは、アバウト過ぎて表面上で読んでも分からないですよ
『国立戒壇論の誤りについて』と『本門事の戒壇の本義』によって
本当の御遺命の戒壇の定義が
広宣流布していなくても造ってOK
建築許可書があれば作ってOK
にしてしまった
本当の御遺命の戒壇の建築条件がなくなってしまったんですよ
要するにゴールがなくなってしまったんですよ
だから表面上の指導(建て前)の部分でこのようなアバウトな書き方をするしかないのですよ

これでは、その時の法主がオリジナルの直感で御遺命の戒壇の建築条件を決めるしかないではないですか
そんな決断理由で国民は納得するのですか?

「訂正したから大丈夫です」みたいな話ではないではないですか

 

また、一方で日顕上人は次のようにも述べられています。
「結局、道理から言っても「国立戒壇」は誤りですから、『国立戒壇論の誤りについて』のなかにおいて「国立戒壇が間違いだ」と言ったことは正しかったと思っております。」
(『近現代における戒壇問題の経緯と真義』89頁)

ここで使用されている「道理」の意味は
平成16年現在の法律の下では、憲法を改正する為の法整備が整っていないから日顕上人は道理として考えて「顕正会の主張する国立戒壇」は出来ないと言っているんですよ

・『国立戒壇論の誤りについて』と『本門事の戒壇の本義』の内容は間違っているのか?
旭川さんは、上記の二書の内容が間違っていると主張するため、卑劣な印象操作を行っています。旭川さんが紹介した『近現代における戒壇問題の経緯と真義』の内容は信用できませんから、実際には何と記されているのか確認してみましょう。———————————-

「つまり正本堂の意義付けを含め、田中智学とうり二つの浅井の考え方を破り、また本来の在り方をも示しつつ、さらに創価学会の考え方の行き過ぎをも、やや訂正をするというように、色々と複雑な内容で書いたわけであります。
(中略)
本書の趣旨からすれば行き過ぎが何点かあったようにも、今となっては思うのです。」
(『近現代における戒壇問題の経緯と真義』59~60頁)一般の人が読めば、要するに行き過ぎた書き方が何点もあったんだなと思うではないですか
分何点ではなく何十点も書き過ぎがあったんだろうなと思うではないですか
正しく記載されてないと思うではないですか

—————————————-

「『国立戒壇論の誤りについて』のなかでも「現在は違うけれども未来においては、その戒壇が御遺命の戒壇ではないということは必ずしも言えない」というような、今考えてみると言い過ぎにも思えるようなことを言ってしまっているのであります。
だから、あの書を廃棄すべきかとも考えたけれども、私としては廃棄するべきではないと思ったわけです。」
(『近現代における戒壇問題の経緯と真義』86~87頁)

一般の人が読めば、要するに正本堂が御遺命の戒壇ではない
なんて必ずしも言えない
と書いてしまったんだな
要するに2冊の本を破棄したいのが本音なんだなと思うではないですか

————————————

ただ「王法」の解釈と、正本堂の建物についてのことでは書き過ぎがあったという感じもしておるのですけれども、しかし、これもその当時の流れのなかで彼らを慰撫教導するという意味では、あのように書いたことはやむをえなかったと思っておるのであります。」(『近現代における戒壇問題の経緯と真義』89頁)

一般の人が読んだら「王法」の解釈も正本堂の建物についての内容も書き過ぎた内容なんだなと思うではないですか
正しく記載されてないと分かるではないですか
それを創価学会に書かされたんだなと思うではないですか

———————————–

「昭和四十七年の『国立戒壇論の誤りについて』と五十一年の『本門事の戒壇の本義』は、先程から言っているように私が書いたけれども、そこにはたしかに、戒壇の建物は広布完成前に建ててよいとか、正本堂が広布時の戒壇の建物と想定するような、今から見れば言い過ぎやはみ出しがあるけれども、これはあくまで正本堂の意義を『三大秘法抄』の戒壇に作り上げようとした創価学会の背景によらざるをえなかったのです。

一般の人が読んだら要するに御遺命の戒壇は広宣流布前に建ててOKとか
正本堂が御遺命の戒壇と思わせるような間違った記載をしたんだな
と思うではないですか
言い過ぎなんなんだな・はみ出しなんだな
要するに話を盛っているんだな
正しく記載されてないんだなと分かるではないですか
創価学会の圧力で書かされたんだなと思うではないですか

————————————

つまり、あの二書は正本堂が出来る時と出来たあとだったが、浅井の色々な問題に対処することも含めておるわけで、強いて言えば全部、正本堂そのものに関してのことなのであります。そういうことですから、正本堂がなくなった現在、その意義について論ずることは、はっきり言って、全くの空論であると言ってよいと思います。

一般の人が読んだら要するに正本堂の意義付けは意味のないことだったんだなと思うではないですか

———————————-

あのなかでは、王法や勅宣・御教書に対する解釈を述べるなかで、「建築許可証」というようにも書いてしまってある。

一般の人が読めば要するに2冊の本は御書の解釈を間違って書いてしまったんだなと思うではないですか

———————————

これは当時の在り方において、学会からの具申的な勧誘もあり、私がそのように書いてしまったのです。

一般の人が読めば要するに創価学会の圧力で2冊の本を書かされたんだなって思うではないですか

これでどうでしょうか?
日顕上人は、あの二書の内容が「間違っていた」「正しくない」とは、一言も仰っていないのです。

これでどうでしょうか?
と言われましても
一般の人が読めば、2冊の本は信用できないな、根拠に出来る文書ではないな、正しく書かれてないんだなと
普通に思うとおもいますど・・・

もし、自分の持っている参考書が、こんな様に訂正だらけだったら
普通、皆さん捨てると思いますよ

いいですか
御遺命の戒壇とは国民の総意で造るんですよね
身内で造るわけではないですよね
これから多くの国民を入信させていくんですよね

ありの金吾様がどんなに2冊の本を絶賛したって、一般の人達が読んで
正しくないなと思えばそれで終わりではないですか

法華講員の人達も2冊の本を読んで正しいと思わなければそれで終わりではないですか

2冊の本には、御遺命の戒壇は
広宣流布前に造ってOK
建築許可書があれば造ってOKとの趣旨が書いてありますね

いいですか、上記の2点がいつでもOKになっている現在
再び宗門に圧力をかける団体が現れれば、プレハブ小屋も御遺命の戒壇になってしまうんですよ
つまり、いつでもその人の解釈次第で利用できるようになっているんですよ
この2冊は早急に破棄する必要があります

旭川さん
「(74p)
当時は、正本堂は御遺命の戒壇と同意義なんですよね」
違います。
これも印象操作ですね。
実際には『近現代における戒壇問題の経緯と真義』の74頁では次のようになっています。「四十七年四月二十八日に、日達上人は妙信講への色々な回答等の意味も含めて、正本堂の全面的な定義をお示しになったのであります。
その「訓諭」には、
「正本堂は、一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり。即ち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり」
(大日蓮 昭和四七年六月号二ページ)
ということを仰せであります。このなかの「本門寺の戒壇たるべき大殿堂」というところが、また一つの解釈があるのです。
「たるべき」ということは、そうであるべきということにおいては、現在はその意義を含んでいる建物だけれども、広布の時にはその建物がそのまま『一期弘法抄』の本門寺の戒壇になるのだという解釈と、そのようになるべく願望しておるところの意味との二つの解釈があるのです。
つまり「本門寺の戒壇たるべく願うけれども、未来のことは判らない」という意味が、そこには含まれておるということなのです。」
(『近現代における戒壇問題の経緯と真義』74頁)

 

上記の訓諭をよく読めば分かるではないですか
正本堂は一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含んでたんですよね
一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含んだら御遺命の戒壇ということではないですか

その後に続く文章は「でも正本堂が本当に御遺命の戒壇になるかどうかは分からんよ」
ということですよね

分かりますか、もう一度簡略して書きます

【正本堂は現時点では御遺命の戒壇と同意義です、だけど将来正本堂が御遺命の戒壇になるかどうかは知らんよ】

という内容ではないですか

いいですか、創価学会の狙いはその当時に正本堂が一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含むと日蓮正宗に宣言させれば、殆ど目的は達成なんですよ

その後に続く文章はなんでもいいんですよ
未来のことは分からないから、後はその時の法主が自由に決めていいよと書くだけなんですから

そもそも日蓮正宗が御遺命の戒壇と断定していないからなんなんですか
正本堂に間違った意義付けをしてしまったのが問題なんですよ
こんな意義を含めてしまったら未来の法主は直感で広宣流布の時期を判断しなくてはならないですか
正本堂は本当は1mmも一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義なんて含まれてないですよね

(2)日蓮正宗に御遺命の戒壇は「国立」との考えは無いについて

(2)については、旭川さんの言いたいことが分かりにくいです。
そもそも、屁理屈が多すぎませんか?

何よりもまずは、日蓮正宗に御遺命の戒壇は「国立」との考えがあることを文証を用いて証明するべきです。

日蓮大聖人は『聖愚問答抄』において、
「経文に明らかならんを用いよ、文証無からんをば捨てよ」
(『平成新編御書』389ページ)
と文証の重要性を説かれ、文証の無いものを用いてはいけないと示されています。

よって、(2)についても、文証が提示できるまでコメントや返事は不要です。

ありの金吾様・・・
なんというフェードアウトの仕方なんですか
この段落だけ私の文書が一切記載されていないですよね
このブログを読んだ読者は「なぜ?」と思うんではないですか
ありの金吾様は書けないんですよ
2022年 5月22日 ありの金吾様への御返事 | 日蓮大聖人の御遺命に関する調査報告書 (ameblo.jp)詳しくは、この前回のブログの(2)を読めば分かります・・・
私の方としてはこれ以上ツッコミません

 

・「国立」ではなく「国主立」と言うほうが内容的に適切

日顕上人は、「国立」の考えを本当に否定されていないのでしょうか?
ここで、日顕上人の『一期弘法抄』に関する別の御指南を拝してみましょう。【(2)明治時代以前】「大聖人様の御書のなかに、直接に「国立戒壇」という語はどこにもないのです。ただ最後の『一期弘法抄』において、
「国主此の法を立てらるれば」(御書 一六七五ページ)
という御文があります。
この「国主」の語には人格的な意味があるが、「国」の上から人格的な意味を示すと、結局、天皇になるのであり、国が立てるというのと、国主が立てるということは、実際には意味が違ってくるのです。
むしろ、あの御文から拝するならば、「国立」でなく「国主立」と言うほうが、内容的に適切ではないかという意味もあります。
まして、宗門の御先師の方々が大聖人様の三大秘法の御法門について色々な面から述べられておるけれども、「国立」という語をおっしゃった方は、明治以前は一人もいないのです。
今も文庫に御先師の文献がたくさんあるけれども、どこを探しても、御先師が「国立」ということをおっしゃっておる文はありません。」
(『近現代における戒壇問題の経緯と真義』24~25頁)
上記の御指南で日顕上人は、『一期弘法抄』を拝するならば、「国立」ではなく「国主立」と言うほうが内容的に適切ではないかと仰っており、「国立」という考え方には否定的なニュアンスで述べられているのです。

ありの金吾様
上記の内容の日顕上人の指導の「国主」の解釈が間違っています
ありの金吾様は上記の日顕上人の指導を
「明治時代は」ということを認識していないです

だいたい、この段落の最初の題名が
【(2)明治時代以前】の話と日顕上人は
前置きして説明しているではないですか

明治時代以前の政治体制は天皇主権ですから「国主」は天皇と言っているです
だから「国立」ではないのです

そして、現在の政治体制は国民主権ですから
「国主」の意味がガラッと変わります

(107P)
今は主権在民だから国主は国民としてならば、こういう主旨のことは日達上人も仰せになっているし

現在の政治体制では「国主」は「国民」になります

つまり時代によって「国主」の意味は変わります

現代は政治体制が「国民」になるから「国立」なのです

旭川さん
「(86p~87p)
『国立戒壇論の誤りについて』の本はそういうように書かざるを得なかったと日顕上人ははっきりと「国立戒壇否定論」を書かされたと告白されているではないですか」
これは嘘です。
旭川さんは息を吐くように嘘をつくので要注意です。
実際には『近現代における戒壇問題の経緯と真義』の86~87頁では、次のようになっています。
〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇「『国立戒壇論の誤りについて』のなかでも「現在は違うけれども未来においては、その戒壇が御遺命の戒壇ではないということは必ずしも言えない」というような、今考えてみると言い過ぎにも思えるようなことを言ってしまっているのであります。
だから、あの書を廃棄すべきかとも考えたけれども、私としては廃棄するべきではないと思ったわけです。
やはり日達上人のもとで私が御奉公させていただいたのだし、当時の宗門の流れの上から、その時その時の事実は事実として、きちんと残しておいたほうがよいと思うのです。また、正直に言いますと、やはりその当時は、私は②そういうように書かざるをえなかったし、②そういうようなことがあったのであります。」
(『近現代における戒壇問題の経緯と真義』86~87頁)つまり、「私はそういうように書かざるをえなかった」と日顕上人が告白されているのは、
「「現在は違うけれども未来においては、その戒壇が御遺命の戒壇ではないということは必ずしも言えない」というような、今考えてみると言い過ぎにも思えるようなこと」であり、
国立戒壇の否定のことではないのです。

 

ありの金吾様
〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇ここに大事な言葉を入れ忘れてますよ

実際には①「そういう背景において」が入ります
つまり上記の文書は、日顕上人がその前のページで説明してきた正本堂の意義付けの背景の続きの文書です

その前の段階で、そういう背景がなにか分からなければ
そういうように書かざるをえなかったものが何か分からないですよ

①と②では「そういう」の内容が違います

①の そういうとは
正本堂の意義付けについての話の続きなんですよ
正本堂の意義付けは『国立戒壇論の誤りについて』と『本門事の戒壇の本義』が根拠となっています

『国立戒壇論の誤りについて』と『本門事の戒壇の本義』は
御遺命の戒壇は「国立」は間違いとの論調です

その2冊の本の内容に触れて
「現在は違うけれども未来においては、その戒壇が御遺命の戒壇ではないということは必ずしも言えない」というような、今考えてみると言い過ぎにも思えるようなこと」を書いてしまった

と吐露されているんです
だから2冊の本を破棄したいと考えたんですよ

分かりやすく言うと「国立」は間違えと書いた本は捨てたい
ということなんですよ

そしてまたの部分から別の話に変わるのですよ
ここから話される本題の②の そういうの意味は
『国立戒壇論の誤りについて』と『本門事の戒壇の本義』を正本堂の意義付けに使用したのは間違っていたと吐露されているんです

 

そもそも、日顕上人は次のように現在でも「顕正会の主張する国立戒壇」は間違いであると述べられています。

「結局、道理から言っても「国立戒壇」は誤りですから、『国立戒壇論の誤りについて』のなかにおいて「国立戒壇が間違いだ」と言ったことは正しかったと思っております。」
(『近現代における戒壇問題の経緯と真義』89頁)

ここで使用されている「道理」の意味は
平成16年現在の法律の下では、憲法を改正する為の法整備が整っていないから日顕上人は道理として考えて「顕正会の主張する国立戒壇」は出来ないと言っているんですよ

 

たしかに明治欽定憲法の時代だったならば、そういう可能性もあっただろうけれども、今の憲法下では絶対にありえないことです。
———中略———–
上記を読めば分かりますが、日顕上人は、(60p)
「憲法を改正して国立戒壇を造ることは絶対に無理」と仰ったのではなく、
「(国立戒壇は)今の憲法下においては絶対に無理」と仰ったのです。①↑
———————————————-
②↓確かに日顕上人は、「簡単に憲法を改正することはできない」と仰っていますが、一方では、
「だいいち、日本の現在の民主主義の形だって、憲法だって、将来どう変わるか判らない。」
(『近現代における戒壇問題の経緯と真義』99頁)ということも仰っているのです。
このように、「本書では憲法改正が100%不可能という大前提」という旭川さんの主張は間違っているのです。

「憲法を改正して国立戒壇を造ることは絶対に無理」と仰ったのではなく、
「(国立戒壇は)今の憲法下においては絶対に無理」と仰ったのです。


同じ意味ではないですか・・・
無理とは(実現するのが難しい)※辞書より
つまり、絶対に無理とは
どんなことがあっても実現できない、という意味です

 

いいですか

上記の点線から↑の日顕上人の指導が、平成16年の時点での憲法下においては絶対に無理と断言されているんです

①↑
———————————————————
②↓

逆に、点線の↓の部分の指導が日顕上人が平成16年の時点では具体的な法整備がされていないから未来のことは具体的に分からないと説明されているんですよ

 

ブログを読んでいる方は分からなくなってしまったかも知れませんが
分かりやすく書くと
①は平成16年の時点での憲法下の話なので当然、憲法改正が絶対に無理なことが
大前提で書けるんですよ
だから日顕上人は今の憲法下ではと前置きしていいるんですよ

②は未来の話で、具体的な法整備がどうなるか分からないから
日顕上人は判らないと説明しているのですよ

そして令和3年9月18日に憲法改正の具体的な法整備が出来ましたから
国民の総意でもって憲法を改正出来るから
日顕上人の話の続きが具体的に議論できるよということです

そして更に大事なことは
この部分を法義上から紐解かなければ分かりません
(97p)
広宣流布完成前に建てていい

三大秘法抄・一期弘法抄の広宣流布の定義を
広宣流布してなくても造ってOKにしてしまったものだから
ゴールがなくなってしまったんですよ

本当は宗門にはゴールとなる宗門古来からある基準があるはずなんですよ

ゴールがなくなってしまったから走り続けないと分からないみたいな
説明にどうしてもなってしまうんですよ

これが本書の本音と建て前の拝し方なんですよ
分かりやすく言うと
憲法を改正しないと国立の戒壇は出来ないというのが
(建て前)です

三大秘法抄・一期弘法抄の広宣流布の定義を
広宣流布してなくても造ってOKにしてしまったものだから
ゴールがなくなってしまった
これが(本音の部分です)

これが理解できないと「近現代における戒壇問題の経緯と真義」を読み解くことは難しいと思います

ありの金吾様も私と討論していく間に薄々感じているのではないですか

なんで日顕上人は法華講員にとって、こんな不利なことを
いろいろ書くのであろうか・・・と

日顕上人は、はっきりと本当のことは言えないけど
当時起こった御遺命の戒壇に関する定義変更の事実を近現代における戒壇問題の経緯と真義の中に
表面上は分からない様に、紛れこませたのだと思っています

 

日顕上人は現在の憲法を至上として考えられたのではありません
将来、どのような政治形態になろうとも不変のもの、それは日蓮大聖人の御金言です。
日顕上人は、『一期弘法抄』にお示しの「国主此の法を立てらるれば」の御金言を一言で「国主立」と表現されたのであり、この「国主立」こそ、いかなる政情にも耐えうる絶対の戒壇義なのです。

憲法を改正しないと国立の戒壇は出来ないというのが
(建て前)です

三大秘法抄・一期弘法抄の広宣流布の定義を
広宣流布してなくても造ってOKにしてしまったものだから
ゴールがなくなってしまった
これが(本音の部分です)

・顕正会の国立戒壇論は田中智学の国立戒壇論と「うり二つ」

しかも、その理由は、
「田中智学とうり二つの浅井の考え方を破り」
(『近現代における戒壇問題の経緯と真義』59頁)
と述べられているように、「顕正会の主張する国立戒壇」が国柱会の田中智学の「国立戒壇論」に酷似しているからなのです。

そして、日顕上人は『国立戒壇論の誤りについて』のなかで、田中智学の「国立戒壇論」は国家中心、国家対象であり、日蓮大聖人の仏法を曲解したものとご指摘されています。

つまり、日蓮正宗は国家中心の「顕正会の国立戒壇論」を否定しているのです。

さて、旭川さんは、顕正会の国立戒壇論と田中智学の国立戒壇論は本当に「うり二つ」なのか?と言っていますが、両者が酷似していることを示す日顕上人の御文をいくつか挙げていきます。

②「明治十四年四月に田中智学が国柱会の元となる結社を作ったのですが、これが日蓮宗から出て、在家仏教的な形から大聖人様の仏法の一分を宣揚しようとしたわけです。
そこで同三十六年に講義をした「本化妙宗式目」というのがあり、そのなかに「宗旨三秘」を説くなかの「第六科 戒壇の事理」という内容があるのです。
その第一項が「即是道場理壇」で、第二項には「勅命国立事壇」というのがあって、理壇と事壇、いわゆる事壇のほうは「事の戒法」と言われるところの『三大秘法抄』の意義を取ったのでしょう。
それが勅命であり、国立戒壇だということを初めて言ったのです。

①そして、そこには事壇の出来る条件として、まず大詔が渙発されるというのです。
天皇の勅命が発せられると一国が同帰になる。
つまり、ありとあらゆる宗旨がいっぱいあるけれども、この意見からするならば、一国がことごとく妙法に帰する。
しかも政教一致であると標榜しておるのであります。
さらに国家の統一を中心として、その一大勢力を作って世界の思想・宗教を妙法化せしめるということを言っておるのです。」
(『近現代における戒壇問題の経緯と真義』25~26頁)

顕正会の教義を知っている人なら気付いたと思いますが、この御文を読めば、顕正会の国立戒壇論は田中智学の国立戒壇論と驚くほど「うり二つ」です。

「浅井の「国立戒壇」の主張は何かと言えば、先程言った田中智学の内容なのです。
(中略)
なおかつ、浅井が言っていることは「本化妙宗式目」にある内容、つまり勅命の「国立戒壇」であります。」
(『近現代における戒壇問題の経緯と真義』60~61頁)

「本化妙宗式目」とは、田中智学の講義です。
つまり、日顕上人は、浅井の国立戒壇論=田中智学の国立戒壇論であるとご指摘されているのです。

②「浅井一派の国立戒壇論をざっと摘要すれば、一、国家中心の戒壇建立論、二、天皇中心、並びに議会翼賛論、三、本化聖天子発願論、四、広布の暁、諸条件具備後の戒壇建立論、五、天母山論、六、国教論等であり、殆んど田中智学の思想の模倣であってその酷似するところ驚くほかはない。
とくにその主張の中の「本化聖天子の発願論」も、発願という意味において、大聖人および歴代上人の法門に全く拝することはできない。」
(『本門事の戒壇の本義』30頁)

以上、これで顕正会の国立戒壇論は田中智学の国立戒壇論の模倣であり、両者が驚くほど酷似しているのが分かったはずです。

まずありの金吾様はこの段落で

田中智学の国立戒壇論と、顕正会の国立戒壇論は同じと論証したいのですよね

②の部分の説明では田中智学の国立戒壇の具体的な内容が分からないですよね
それを日顕上人は①でもって具体的に分かりやすく解説されていますよね

(の中が)辞書でしらべた漢字の意味です

そして、そこには事壇(御遺命の戒壇のこと)の出来る条件として、まず大詔(天皇の言葉)が渙発(天皇から発する公式文書を日本国中に周知すること)されるというのです。
天皇の勅命(天皇の命令)が発せられると一国が同帰(天皇の考えと国民の考えは同じになる)になる。
つまり、ありとあらゆる宗旨(その人のもっている主義・主張
がいっぱいあるけれども、この意見からするならば、一国がことごとく妙法(日蓮大聖人の仏法)に帰する(最後にはそうなる。結果としてそうなる。)。
しかも政教一致(国家が特定の宗教団体に加担する事
であると標榜(主義・主張や立場などを,公然と表すこと)しておるのであります。
さらに国家の統一を中心(国民全体の意見を統一する
として、その一大勢力を作って世界の思想・宗教を妙法化(つまり、大きな集団を作って世界中の人のいろんな考え方とか、宗教を日蓮大聖人の仏法に帰依させること
せしめるということを言っておるのです。」

何度、ありの金吾様から説明されても同じですね
田中智学の国立戒壇論と、顕正会の国立戒壇論は全く違いますよね
田中智学の国立戒壇論は天皇の命令ですよね
田中智学の国立戒壇論は信仰の強制ですよね
参考に顕正会の国立戒壇論の一部を記載しておきます

「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」(191p)
国立戒壇とは、国家権力による強制をも意味しない
信仰は強制によってなし得るものではない。
あくまでも一対一の折伏により全国民が三大秘法を受持する時が広宣流布

と言われております
私はネットで購入できる顕正会の書籍は全て読んでおりますが
どの書籍を読んでも御遺命の戒壇に関して強制との趣旨は書いておりません

田中智学の国立戒壇論と顕正会の国立戒壇論は全く違います

しかし、『一期弘法抄』には、
日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。(新編一六七五頁)
とあり、国主が正法を立てた時、戒壇を建立せよと、本門弘通の大導師たる日興上人に命ぜられたものである。
文意と「国立」の語とは全く意味が合致していない。」
(『顕正会会長 浅井昭衛の〝最後に申すべき事〟を砕破す』74~75頁)「御金言をよく拝せ。
国家で戒壇を建立せよなどと、どこにそのような文言があるというのだ。
(中略)
大聖人も戒壇建立の前提として「王仏冥合」「勅宣御教書」、ないしは「国主此の法を立てらるれば」等と仰せられているものの、どこにも国家で戒壇を建立せよなどとは仰せられていない。」

まず、この本を書かれた人が
国主」の意味を  (天皇か国民)のどちらにしているのかが重要です

多分この方は、「国主」を天皇と解釈した上で国立はないと言っていると思います
天皇主権時代での「国主」の考え方は、上記の内容で正解だと思います
天皇が戒壇を建立すると書いてあるからです

 

しかし、現在は国民主権ですから「国主」は国民の意味に変わります
そして、日顕上人は御遺命の戒壇は、国民の総意で造ることと
具体的なルールも決められています

そうなると

国主が正法を立てた時、戒壇を建立せよと、本門弘通の大導師たる日興上人に命ぜられたものである

との上記の文言の意味は現代の政治体制では

国民が正法を立てた時、戒壇を建立せよと、本門弘通の大導師たる日興上人に命ぜられたものである

との意味に変わります
国民の総意で戒壇を建立するということは、現在の憲法下では
「国立」になります

返事を書きましたが、今回も旭川さんのお返事は酷い内容ですね。
嘘・印象操作・屁理屈で塗り固めたお返事でした(苦笑)

さて上記の様に反論しましたがどうでしょうか?
前回に引き続きありの金吾様が(嘘・印象操作・屁理屈)と言われている部分は

一門一句、同じ文言で書いていないだけで、そのニュアンスと日顕上人が言われていることは同じ内容ではないですか

翻ってありの金吾様の質問は今回も
そもそも文章の意味が反対
文章の解釈が間違っている、内容を把握してない
ニュアンスも同じ文書の内容がない
など、私の文句など言っている場合ではない反論ばかりではないですか

それは、ありの金吾様のブログのタイトルにも表れてますよ
【旭川ひろしの国立戒壇論を破す】
まだ討論の途中ですよ
今までの討論で、なにか一つでも、ありの金吾様は私の主張を破折できたでしょうか?
自分の感情が先走り過ぎなんです
これでは私が他の方と討論するとき勘違いされるではないですか

———————————————————–

以上が私からの回答と質問です
今後も引き続き討論をお願い致します
宜しくお願い致します
(返事を御自身のブロブに掲載されたらアメブロのメールでいいので一方欲しいです、いつの間にかありの金吾様のブロブに回答が掲載されているので気づかないです)

後は、大分 待ち時間というか待ち日数があるので
他の方もどのように御遺命の戒壇を考えているか知りたいので
もしかすると他の方とも討論しているかも知れませんがご了承下さい
ありの金吾様との討論には、いままで通り支障がないように致します

2022年6月14日

旭川

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