2023年1月29日 ありの金吾様へのお伺い

顕正会員は事の戒壇の定義が理解できない | 顕正会員は日蓮正宗に帰伏するべし – 楽天ブログ (rakuten.co.jp)

ありの金吾様の上記のブログの内容に対して下記の質問を投げかけました


 

これまで旭川ひろしさんという方とお互いのブログを使って、御遺命の戒壇について討論をしてきました。

しかし、旭川さんのお返事の内容があまりに酷いので、旭川さんに返事を書くのが馬鹿馬鹿しくなりました。

よって、『旭川ひろし氏の国立戒壇論を破す―10』で返事を書いたものの、「今後はお返事は不要です。」と私は書きました。
しかし、空気の読めない旭川さんは自分のブログで異常に長いお返事を書いてきました。
もはや旭川さんと討論する気はありませんが、せっかくなので今回の旭川ひろしさんのブログ記事の内容をネタにしてブログを更新してみました。

なぜ私が討論の初期から、ありの金吾様に討論を続ける必要性を言っていたのか
なせ私が、ありの金吾様の口の悪さに対して無視せず窘めていたのか
それは、上記の捨て台詞を吐き、討論からフェードアウトすることを阻止する為です

空気が読める読めないの話ではないです

ありの金吾様は今後、私と討論を続行することにより
宗門の御遺命の戒壇の意義付けに関する不正が、暴かれることを見られたくないからフェードアウトしたいのです
ありの金吾様は私からの反論が返ってくるのを恐れております
顔を見なくても文面から伝わって参ります
今まで法華講員の方達によって考え抜かれた国立戒壇否定の理論が、いとも簡単に否定された事に驚きと、虚しさを覚えているのだと思います
心ある法華講員の方達・顕正会員の方達
是非、ありの金吾様に戦意喪失させた
『旭川ひろし氏の国立戒壇論を破す-10』への反論
2022年12月5日 ありの金吾様への御返事 | 国立戒壇に関する調査報告書 (asahikawa1990.com)

今回の反論ブログを読んで欲しいと思います
ありの金吾様が反論できない理由が分かると思います
ありの金吾様と私の討論内容は、現在数多くの法華講員の方々が国立戒壇否定のブログを数多く書かれている内容そのものであります
その一つ一つの問題点を指摘しております
私が調査する限りでは、ネット上では法華講員側の国立戒壇否定の論法が圧倒的に優勢の空気になっておりますが
これが現実なのだと思います
ありの金吾様、「今後はお返事は不要です。」と言われておりますが
その後の、 ありの金吾様の最新のブログには
顕正会員は事の戒壇の定義が理解できない | 顕正会員は日蓮正宗に帰伏するべし – 楽天ブログ (rakuten.co.jp)私をネタにした内容が書いてありますが
ブログの題名こそ変えているものの、要するに私への反論ではないですか、それでも私は御返事を書いてはダメですか?
後、これまでの討論の中で、ありの金吾様は私への悪口をよく書かれてましたね、そのことについてお尋ねするのもダメですか?
後、2022年6月14日にも書きましたが、私はありの金吾様との討論で1つの段落でも破折された覚えはありません
しかしながら、ありの金吾様は「私は旭川さんと討論を続ける気はありません。」と言っておきながら「旭川ひろし氏の国立戒壇論を破す」とのブログのタイトルを変えておりません
なので、どの部分が破折できているのかお聞きするのもダメですか?
面と向かって私に反論できない以上、このタイトルは変更して頂きたいです
出来ないなら反論して下さい
ありの金吾様の反論は破折ではなくて、釈明だと思いますがどうでしょうか?
このまま、ありの金吾様と音信不通になってしまうと、読者の方々に勘違いされてしまいます
御自分の主張は引き続き公開するけど、反論するのはダメとは、理不尽ではないですか?
ありの金吾様、ネタでもなんでも構いません、今後も私のお伺いにコメントを下さいそして法華講員の方々の主張される、御遺命の戒壇の問題点の顛末をしっかりと
法華講員・顕正会員の方達に見て貰いたいのが私の希望です

(3)日蓮正宗は創価学会の圧力によって御遺命の戒壇の定義を変更せざるを得なかったのではないか?について

順番が違いますが、まずは(3)について書いてみます。

①・本門戒壇の大御本尊のおわします所が事の戒壇

まず最初に、事の戒壇の定義を下記に簡潔に記してみました。
a. 広宣流布の暁に建立される御遺命の戒壇
b. 本門戒壇の大御本尊のおわします所
このように、事の戒壇の定義は2つあるのです。

しかし、現在の顕正会では、bの「本門戒壇の大御本尊のおわします所が事の戒壇」という定義を教えていないため、顕正会員は事の戒壇の定義が正しく理解できないのです。

次に、bの定義の文証を挙げます。

①まず、第六十世日開上人は御法蔵説法において、
「御遺状の如く、事の広宣流布の時、勅宣・御教書を賜わり、本門戒壇建立の勝地は当国富士山なる事疑いなし。又其の戒壇堂に安置し奉る大御本尊、今眼前に当山に在す事なれば、此の処即ち是れ本門事の戒壇・真の霊山・事の寂光土にして、若し此の霊場に一度も詣でん輩は…」
(『日蓮大聖人の仏法 改訂版』196ページ)
と御指南されています。
この御法蔵説法において日開上人は、「其の戒壇堂に安置し奉る大御本尊、今眼前に当山に在す事なれば、此の処即ち是れ本門事の戒壇」と仰せられており、ここで「戒壇の大御本尊在す処が即ち本門事の戒壇」であると御指南されています。
②さらに、第五十二世日霑上人の『三大秘法談』にも、
「未だ広布の時至らず事相の戒壇御建立なしといへども此の道場即是れ事の戒壇真の霊山事の寂光」
(『研究教学書 二三』418頁)

という御文があるのです。

そして、実は顕正会の浅井会長も解散処分を受ける前は、下記のように「本門戒壇の大御本尊のおわします所が事の戒壇」であると主張していたのです。

「次に「事の戒壇」の定義について確認をしておかねばならない。
その故は、昨年五月の学会総会に於て、猊下が「正本堂は事の戒壇である」と仰せられたことに就き、“猊下も既に御認承”と、かえって誇称するを屡々聞く故である。
総会に先立って森田副会長に念を押した憂いの一つはこれであった。
申すまでもなく、猊下がたまたま仰せになられた「事の戒壇」とは、宗門古来の定義とは全く別な意味であられる。
従来宗門に於ては、一天広布の暁に事相に立てられる国立戒壇を「事の戒壇」とし、その実現こそ宗門のいのちをかけた悲願であった。
だが、諸々の法相は所対によって異ると、さればいま猊下の仰せ給う「事の戒壇」とは、この広布の時の「事相」に約し給うものでなく、所住の法体の「事」に約し給うたものである。
即ち、戒壇の大御本尊おわします所は何処・何方にても直に「事の戒壇」と定義せられたのである。
従って、曾っての御宝蔵も、また現在の奉安殿も「事の戒壇」であり、将来正本堂にお遷り遊ばせば同じく「事の戒壇」であるとの御意であられる。」
(『富士』第140号25ページ)
この文章は、昭和46年に浅井会長が書いた『「正本堂」に就き池田会長に糺し訴う』の一節で、事の戒壇の定義についての詳細な説明が記載されています。
日達上人は「正本堂は事の戒壇である」と仰せられたが、それは「事の戒壇=御遺命の戒壇」とは全く別な意味であり、戒壇の大御本尊おわします所は「事の戒壇」と定義せられたのであると。
また、日顕上人も
「日寛上人が仰せの『三大秘法抄』の「事の戒壇」と、御戒壇様まします所の「事の戒壇」の二つがある」
(『近現代における戒壇問題の経緯と真義』72~73頁)

と仰せられているのです。

さて、現在の顕正会では、正本堂を「御遺命の事の戒壇」と主張した創価学会を助けるため、日達上人は「戒壇の大御本尊のおわします所(正本堂)が事の戒壇」だと御指南されたと主張しています。

しかし、それは逆だと思います。
創価学会の「正本堂=御遺命の事の戒壇」という主張を否定するため、日達上人は「戒壇の大御本尊のおわします所が事の戒壇」という定義で、「正本堂は事の戒壇である」と御指南されたのではないでしょうか?
そもそも、2つある事の戒壇の定義のうち、
「本門戒壇の大御本尊のおわします所が事の戒壇」という定義は御相伝だったので、当時はほとんど知られていなかったようです。
ゆえに、日顕上人は当時を振り返られて、
「我々は、事の戒壇というと、やはり『一期弘法抄』『三大秘法抄』の戒壇であると思い込んでいたところがありました。」
(『近現代における戒壇問題の経緯と真義』71頁)
と述べられているのです。
つまり、この頃は「戒壇の大御本尊のおわします所が事の戒壇」という定義がまだ公になっておらず、日蓮正宗のほとんどの方は「事の戒壇=御遺命の戒壇」という認識だったのです。
そして、学会はその認識に基づいて、「正本堂=御遺命の事の戒壇」と主張しました。
この時の「事の戒壇」とは御遺命の戒壇を意味していたのです。
しかし、日達上人は「本門戒壇の大御本尊のおわします所が事の戒壇」という定義をもって、「正本堂は事の戒壇である」と御指南されたのです。
つまり、この場合の「事の戒壇」とは、「戒壇の大御本尊のおわします所」という意味であり、御遺命の戒壇という意味ではないのです。
それは裏を返せば、「正本堂=御遺命の事の戒壇」という学会の主張を、日達上人は否定されたということではないでしょうか?
それゆえ、浅井会長は下記のように前述の『「正本堂」に就き池田会長に糺し訴う』のなかで、戒壇の大御本尊おわします所は「事の戒壇」であると認めたのだと思います。
「申すまでもなく、猊下がたまたま仰せになられた「事の戒壇」とは、宗門古来の定義とは全く別な意味であられる。
(中略)
即ち、戒壇の大御本尊おわします所は何処・何方にても直に「事の戒壇」と定義せられたのである。
従って、曾っての御宝蔵も、また現在の奉安殿も「事の戒壇」であり、将来正本堂にお遷り遊ばせば同じく「事の戒壇」であるとの御意であられる。」
(『富士』第140号25ページ)
このように、浅井会長は「戒壇の大御本尊のおわします所が事の戒壇」という定義を百も承知なのです。

しかるに、この事の戒壇の定義を浅井会長は顕正会員には教えず、日達上人が事の戒壇の定義を勝手に変更したとか、学会の誑惑を助けたなどと言っているのです。

 

本門戒壇の大御本尊のおわします所が事の戒壇】について
ありの金吾様は 本門戒壇の大御本尊のおわします所は全て事の戒壇と言えるとの定義の文証を2点掲載されました

①つ目の定義の文証について
私は何度も討論の中で説明しましたが
2022年10月6日 ありの金吾様への御返事 | 国立戒壇に関する調査報告書 (asahikawa1990.com)

此の処即ち是れ本門事の戒壇との言葉の存在は不確定であります
ですので上記の文書で、 本門戒壇の大御本尊のおわします所は、全て事の戒壇とは言い切れないと思いますがどうでしょうか?

それに文書をよく読むと事の広宣流布の時、勅宣・御教書を賜わりとの条件付きですよ
なんでもかんでも事の戒壇でOKとの意味にはならないと思います

②つ目の定義の文証について
この文証には「根源」との文言が入っておりません
これでは本門戒壇の大御本尊のおわします所は、全て事の戒壇とは言い切れないと思いますがどうでしょうか?

 

【顕正会の浅井会長も解散処分を受ける前は、下記のように「本門戒壇の大御本尊のおわします所が事の戒壇」であると主張していたのです。】について

確かにこの文章をだけを読むと「本門戒壇の大御本尊のおわします所が事の戒壇」と説明していると思います

しかしながら、この理由は「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」に書いてありました
(全文を書き込むと膨大な文字数になるので要点を取って説明します、もし「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」を持っていないとか、全文を掲載して欲しいとの要望があれば次回全文を書いて送ります)

「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」(34p~38p)
昭和45年3月、浅井会長と日達上人が総本山で話し合いをした
日達上人は「御宝蔵説法」の内容に、戒壇の大御本尊まします所はどこでも事の戒壇といっていいと書いてあると説明されたとのこと
しかし、その文書の前後の文章は見せて貰えなかったとのこと

その後(何時なのかは不明)
「御宝蔵説法」の続きが入手できたとのこと
続きには広布の暁の国立戒壇を大前提として書いてあり
広宣流布する前の戒壇の大御本尊様も、広宣流布した後の戒壇の大御本尊も全く同じ功徳があるとの意味が書いてあり
本題の戒壇の大御本尊おわします所なら、どこでも事の戒壇の意味ではないことが分かった
という内容が書かれていると思います
(要するに日達上人に騙されたということだと思います)

つまり、ありの金吾様が引用された資料(『富士』第140号25ページ)は昭和46年の後半に書かれた妙信講の書籍ではないかと思っております
このような経緯なら、この時点では「本門戒壇の大御本尊のおわします所が事の戒壇」と同調するのは致し方ないと思います



【「本門戒壇の大御本尊のおわします所が事の戒壇」という定義は御相伝だったので、当時はほとんど知られていなかったようです。】について

「近現代における戒壇問題の経緯と真義」を読めば、当時の「御相伝だった」程信憑性のない言葉はないです

当時、教学部長だった日顕上人が知らないくらいですから、末寺の住職も知らないと考えるのが妥当でしょう
「御相伝」は誰も知らない、だから事の戒壇の定義を変更しても誰も反論できない
これが創価学会がプレゼントの正本堂もある意味、御遺命の戒壇と宗門に言わせる為の作戦と考えるべきだと思います

 

【なぜ正本堂に戒壇の大御本尊様を御安置したのですか?】
ありの金吾様に理由をお聞きしたいです
これさえしなければ、正本堂は事の戒壇とは縁もゆかりもない
ただのプレゼントの建物だったはず
教義上どのような理由があるのでしょうか?

(私は、これを創価学会から圧力をかけられて、宗門は御遺命の戒壇とは何にも関係ない建物を、ある意味御遺命の戒壇と認定してしまった一大悪行イベントだったと思っております)

 

・正本堂が御遺命の戒壇の意義を含むことを認めていた妙信講

 

日達上人は昭和47年の「正本堂訓諭」において、正本堂は御遺命の戒壇そのものではないものの、「一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む」ことを御指南されているのです。
そして、その後に妙信講は昭和48年5月と昭和49年4月の2回にわたって、正本堂での御開扉を願い出ていますから、妙信講は正本堂が御遺命の戒壇の意義を含むことを認めていることになります。
妙信講は正本堂が御遺命の戒壇の意義を含むことについて抗議していませんよね?
正本堂が御遺命の戒壇の意義を含むことに対して特に抗議もせず、正本堂での御開扉を願い出ていますよね?

旭川さん

「正本堂が御遺命の戒壇の意義を含むことに対して、妙信講が抗議をしたのか・してないのかについてなのですが
「昭和四七年二月には浅井昭衛が「事の戒壇」についての宗門の見解を変えるよう要求を出してきたのです。
一つ目は「正本堂は三大秘法抄・一期弘法抄の御遺命の事の戒壇ではない」ということですが、これは以前から今日まで御戒壇様のまします所、事の戒壇という御指南が本筋であります。」
(『近現代における戒壇問題の経緯と真義』73頁)
では上記の顕正会と宗門の主張をそれぞれ分かりやすく書きます
顕正会の要求は
(戒壇の大御本尊のまします所は、どこでも事の戒壇とは言えない)
宗門の主張は
(戒壇の大御本尊のまします所は、どこでも事の戒壇と言える)
この両者の明確な主張の違いが分かりますか?
プレゼントの正本堂も事の戒壇でOKとしてしまったら
宗門は正本堂を御遺命の戒壇と断定しなくても
正本堂は御遺命の戒壇の意義を含んでしまうではないですか?
顕正会が何に対して抗議をしていたのか、ありの金吾様は分からないのですか?
旭川さんは日顕上人の御文を根拠として、妙信講は正本堂が御遺命の戒壇の意義を含むことに対して抗議していたと上記のように主張しました。
この旭川さんの主張は分かりにくいと思いますので、下記に簡潔にまとめてみました。
浅井会長は宗門に「事の戒壇」の見解を変えるよう要求
宗門の見解は
戒壇の大御本尊のまします所(正本堂)は事の戒壇
顕正会(妙信講)の要求は
戒壇の大御本尊のまします所(正本堂)は事の戒壇ではない
顕正会の要求の動機は?
正本堂を事の戒壇としたら
正本堂は御遺命の戒壇の意義を含んでしまうから
つまり
顕正会(妙信講)は正本堂が御遺命の戒壇の意義を含むことに対して抗議している
おそらく、これで合っていると思いますが、この旭川さんの解釈はデタラメです。

「プレゼントの正本堂も事の戒壇でOKとしてしまったら

宗門は正本堂を御遺命の戒壇と断定しなくても
正本堂は御遺命の戒壇の意義を含んでしまうではないですか?
顕正会が何に対して抗議をしていたのか、ありの金吾様は分からないのですか?」
①そもそも、「事の戒壇」の定義に、「御遺命の戒壇の意義を含んでいる」というものはありません。
おそらく、旭川さんは先述の日達上人の「正本堂訓諭」をもとに言っているのだと思いますが、それは「事の戒壇」の定義とはまた別なのです。
それに、正本堂は御遺命の戒壇の意義を含んでいるという考え方は、昭和47年3月に初めて出てきたものだと思います。
つまり、昭和47年2月に浅井会長が「抗議」した時点では、正本堂は御遺命の戒壇の意義を含んでいるという考え方自体がなかったはずです。
したがって、昭和47年2月の浅井会長の「抗議」を根拠として、正本堂が御遺命の戒壇の意義を含むことに対して妙信講は抗議していたと主張することはできないのです。

「顕正会の要求は

(戒壇の大御本尊のまします所は、どこでも事の戒壇とは言えない)」
そもそも、先述の昭和46年の『「正本堂」に就き池田会長に糺し訴う』のなかで、浅井会長は戒壇の大御本尊おわします所は「事の戒壇」であると認めています。
このように、旭川さんは事の戒壇について、まともに理解できていないのです。

旭川さん

「昭和45年の時点では既に、宗門は正本堂を御遺命の戒壇の意義を含むとの考え方になっていたと推測します
この宗門の考え方がある以上
妙信講が創価学会に対して正本堂は御遺命の戒壇ではないと言ったところで
創価学会としては、「だって宗門からは正本堂も御遺命の戒壇の意義を含んでいると許可を貰っている」との
何とでも言い訳できる反論材料がある訳です
顕正会としては創価学会に対して「正本堂は御遺命の戒壇ではない」と断言したい所ですが
宗門の「どちらとも言えない」との曖昧なニュアンスが
創価学会が企む、正本堂の御遺命の戒壇計画を助けているんです」
この旭川さんの考え方は間違っています。
昭和45年の時点では、宗門に正本堂は御遺命の戒壇の意義を含んでいるという考え方はありません。
先述のように、正本堂は御遺命の戒壇の意義を含んでいるという考え方は、昭和47年3月に初めて出てきたものだと思います。

 

この段落のポイントは
【正本堂は御遺命の戒壇の意義を含んでいるという考え方は、昭和47年3月に初めて出てきたものか・そうではないのか】ではないかと思います
ありの金吾様は、正本堂は御遺命の戒壇の意義を含んでいるという考え方は、昭和47年3月に初めて出てきたと言われますが
表に出てきたのが昭和47年3月なだけであって
裏では、それより前に正本堂の意義付け問題はスタートしていると考えるのが自然ではないかと思います
(近現代における戒壇問題の経緯と真義47p)
(聖教新聞 昭和四〇年一月二六日付)と述べています。このように学会の中では、すでに具体的な建物としての正本堂が本門の戒壇の建立となるという話が始まっていたのです。
要するに昭和40年の時点で既に、創価学会はプレゼントの正本堂を御遺命の戒壇にしようとスタートしていたとのことですね

 

(近現代における戒壇問題の経緯と真義55p)
(同 昭和四〇年九月号一八ページ)
中略
大石師の例からしても、宗門の全体が学会のそのような考えの在り方に、ずっと引きずられていったような意味があるのです。

ここに宗門は昭和40年の時点ですでに、正本堂が御遺命の戒壇になるという創価学会の考えかたに引きずられていったとの供述がありますよ
ありの金吾様は、正本堂は御遺命の戒壇の意義を含んでいるという考え方は、昭和47年3月に初めて出てきたと言われますが「近現代における戒壇問題の経緯と真義」を読むと、正本堂の意義付けの考え方はもっと古くからスタートしている旨を説明していると思います

①について
【「事の戒壇」の定義に、「御遺命の戒壇の意義を含んでいる」というものはあるのか・ないのか】
「事の戒壇」の定義と正本堂は御遺命の戒壇の意義を含んでいる
は密接な関係があると思います
創価学会の真の目的は、プレゼントした正本堂を限りなく御遺命の戒壇に近づけることだと思われる、一期弘法付属書も三大秘宝抄も事の戒壇も全てある程度含んでないと成立しない一大イベントだと思います

 

「正本堂は、一期弘法付属書並びに三大秘宝抄の意義を含む現時における事の戒壇なり。即ち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり」
(訓諭)

幾ら宗門に一期弘法付属書並びに三大秘宝抄の意義を含むと認めて貰っても、正本堂は事の戒壇とは全く関係ないと言われたら
正本堂はただのプレゼントの建物に過ぎなくなってしまう
これでは創価学会の作戦は失敗に終わってしまします
だから、創価学会はプレゼントの正本堂も事の戒壇と認めさせる為、宗門に圧力をかけ定義変更に働きかけたのではないかと推測しています

「事の戒壇」の定義に、「御遺命の戒壇の意義を含んでいる」というものはありません。

ではなく
「事の戒壇」の定義を変更させることにより正本堂は御遺命の戒壇の意義を更に含んでしまうという事です

分かりやすく言えば、創価学会は日蓮正宗から正本堂も事の戒壇と認定して貰えば
正本堂もある意味、御遺命の戒壇とのお墨付きを貰える訳です

「事の戒壇」の定義と、正本堂の意義付けは密接な関係があります

ありの金吾様、正本堂の意義付けに関しては、妙信講は事の戒壇についても抗議する必要があることを理解して頂けましたか?

これは私の予想で書いているのではありません、妙信講の正本堂の意義付けに関する抗議の詳細は
「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」に書いてあります
「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」(1) – 日蓮正宗の欺瞞を検証してみた (kenshokai.co)

このサイトに全文ではないですが、ほぼ主要な部分の「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」が掲載されています

これまで見てきたように、旭川さんには御遺命の戒壇や正本堂の意義付けについての正確な知識はありません。

したがって、旭川さんには御遺命の戒壇について討論する能力は無いのです。

では何故、ありの金吾様は私の回答の数々に反論できないのですか?
なぜ、破折できないのですか?
今までなにを破折できたのですか?

私は、正本堂の意義付け問題に関する宗門の不正を指摘しているだけ
何故このような簡単な質問に反論できないのでしょうか?

これまで私とありの金吾様の討論を見た顕正会員・法華講員の方達が思う感想は
「正本堂の意義付けとはなんとデタラメな談合だったんだろう」ではないでしょうか?

私にはどう見てもこの討論、ありの金吾様の手詰まりにしか見えないのですが・・・

 

(1)現在の憲法下では「国立戒壇」は実現可能だから、実現可能なことを目的にするのは間違っていないについて

(1)については、『旭川ひろし氏の国立戒壇論を破す―6』で既に結論が出ていますので、そちらを参照して下さい。

旭川さん

「日蓮正宗が御遺命の戒壇の定義に関して、不正をした」
「創価学会の御遺命の戒壇の定義変更に協力した」
このことについては、日顕上人が次のように述べられており、創価学会が破門され正本堂が無くなった現在から見れば、「言い過ぎやはみ出し」があったなどと訂正遊ばされているのです。
「昭和四十七年の『国立戒壇論の誤りについて』と五十一年の『本門事の戒壇の本義』は、先程から言っているように私が書いたけれども、そこにはたしかに、戒壇の建物は広布完成前に建ててよいとか、正本堂が広布時の戒壇の建物と想定するような、今から見れば言い過ぎやはみ出しがあるけれども、これはあくまで正本堂の意義を『三大秘法抄』の戒壇に作り上げようとした創価学会の背景によらざるをえなかったのです。
(中略)
そういうことですから、正本堂がなくなった現在、その意義について論ずることは、はっきり言って、全くの空論であると言ってよいと思います。」

(『近現代における戒壇問題の経緯と真義』97~98頁)

 

この反論内容は破折ではないですよね

上記の内容を一言で表すと
正本堂の意義付け問題は無かったことにして欲しい
ということですよね

なぜ、日蓮正宗ともあろう由緒ある団体が上記のような頼りない言い訳をするのでしょうか?
それは、正本堂の意義付けが不正であり、間違いであるからです
法華講員の方達は正本堂の意義付けに関しての不正を追及されたとき

法華講員は反論できないと思います、だから上記の文書の逃げ道が用意されていると推測します

ありの金吾様、反論できますか?


【法華講員の方達の『国立戒壇論の誤りについて』と『本門事の戒壇の本義』と『訓諭』の使用方法について】

2022年10月6日・12月5日にも同じ様な内容を質問しましたが、御返事がなかったので再度この段落でお伺い致します

現在、空論(現実ばなれしていて役に立たない議論や理論。)
『国立戒壇論の誤りについて』と『本門事の戒壇の本義』と『訓諭』を法華講員の方達は御遺命の戒壇の根拠として使用しております

これらは、文証としても使用できませんし
御遺命の戒壇の根拠としても使用出来ません
この認識で異論はないですね

これは、ありの金吾様が言われている結論の確認です

 

(2)日蓮正宗に御遺命の戒壇は「国立」との考えは無いについて

旭川さん
「では(2)については
日蓮正宗に御遺命の戒壇は「国立」との考えがあることを示す文証を提示できなかった
との結論で構いません」
旭川さんは日蓮正宗に御遺命の戒壇は「国立」との考えがあることを示す文証を提示できませんでした。
文証が無かったということは、日蓮正宗に御遺命の戒壇は「国立」との考えは無いことが証明されたということです。

そもそも、(2)については、『旭川ひろし氏の国立戒壇論を破す―8』で既に結論が出ていたのです。

では、ありの金吾様にお伺いします
現時点では日蓮正宗に御遺命の戒壇は「国立」の考えは無いとのことですね

では未来のことに関しては、日蓮正宗も御遺命の戒壇については「不明」ということですよね
国立になるかもしれないし・そうじゃないかもしれないとのことですね

これは、ありの金吾様が書いた『旭川ひろし氏の国立戒壇論を破す―8』の結論の確認です

(4)「御歴代四上人の主張された国立戒壇」と「顕正会の主張する国立戒壇」は、同じ「国立戒壇」という名称を使用していても意味は異なるについて

(4)については、『旭川ひろし氏の国立戒壇論を破す―3』で終了。

『旭川ひろし氏の国立戒壇論を破す―3』のどの部分なのでしょうか?
私は、今までの討論の中で、ありの金吾様から
言う必要はない、みたいな反論はされましたが
一つでも破折された覚えがないので分かりません
詳細を書いて欲しいです

(4)「御歴代四上人の主張された国立戒壇」と「顕正会の主張する国立戒壇」は、同じ「国立戒壇」という名称を使用していても意味は異なるについて

こちらについては、旭川さんが顕正会員や元顕正会員ではないのなら、コメントや返事は不要です。

ポイントは、「日蓮正宗が主張した国立戒壇」と「顕正会の主張する国立戒壇」を分けて考えることです。

そして、「顕正会の主張する国立戒壇」は、その建立する場所からして明確な誤りとなりますから、こちらは用いてはいけません。


このことですか?
私は日蓮正宗と顕正会の御遺命の戒壇の違いを知りたいのではないです
本当の御遺命の戒壇とはどのようなものかが知りたいのです

 

【正本堂の意義付けと御遺命の戒壇の破折について】

私と、ありの金吾様は長い時間をかけて討論を続けて参りました
私としては、各段落ごとに、ありの金吾様の主張をことごとく打ち破って来たつもりであります
そして私の中では、勝負は最終局面、いよいよこの討論に決着をつける段階に来たと思っておりました
しかしながら、ありの金吾様は

私から正本堂の意義付けに関する不正を問い詰められれば
正本堂がなくなったから、その意義について論じることは空論
(要するに追及しないでくれ、ということだと思います)
として討論を続けることを回避する

続いて将来の御遺命の戒壇に関して問い詰められれば
将来のことは分からないから具体的な形でいう必要はない
(要するに、わからない、知らない、聞かないで、ということだと思います)
と討論を続けることを回避する

このような、子供の言い訳のごとく、のらりくらりと討論を回避することが本当に破折していると言えるのでしょうか?

※私は、法華講員の方達が(討論・法論)で追い詰められた時の為に、宗門はこのような安全策(逃げ道)を用意したのだと思います

 

【御遺命の戒壇は具体的に言う必要はないとのことでしたが、なぜ国立戒壇は間違いだと断言できるのですか?】

これは、ありの金吾様だけではありませんが、全国の法華講員の方達が書く(ブログ・サイト)はことごとく、「国立戒壇は間違い」と断言しております
なぜ、断言できるのでしょうか?
理由を教えて頂けますか?

(これも論じることはダメなのですか?)


以下は前回までに御解答頂けていない質問一覧です

【日顕上人の正本堂の意義付けの発言に100%信憑性があるのか】

法華講員の有識者の方々でも日顕上人の正本堂意義付けに関しての信憑性を疑ったいる方達もおられます
しかしながら、いままで、ありの金吾様と討論して思うことは
日顕上人の正本堂の意義付けに関する発言を信用しきっていると思います

信憑性があるのか・ないのか
討論したいのですがどうでしょうか?

 

・顕正会の国立戒壇論は田中智学の国立戒壇論と「うり二つ」

前回、2022年10月6日・12月5日に、ご質問しましたがご返事がなかったので

再度お伺いします

〇田中智学は一期弘法抄の本門寺の戒壇に御安置する御本尊様
つまり御遺命の戒壇に御安置する御本尊様は何にすると言っていますか?

〇田中智学の国立戒壇論の内容は
御遺命の戒壇は国民の総意で造ると言ってますか?

この2点を、ありの金吾様は回答できないと思います

つまり、この段落の討論の私からの王手です

 

 

【御遺命の戒壇は御影堂について】

2022年8月17日・2022年10月6日・2022年12月5日
にご質問しましたが、ご回答されてないのが続いているので宜しくお願いします

旭川さん
「どのようなプロセスで御遺命の戒壇を造るのか具体的な道筋が、宗門古来の御遺命の戒壇の建築条件の定義が存在するのではないですか?」
旭川さんは御遺命の戒壇の建築条件が存在するのではないか?と言っていますが、日寛上人におかれてさえ、御遺命の戒壇についての具体的な御指南はされていないのです。

つまり日寛上人を含め、御先師の方達は
御遺命の戒壇についての具体的な御指南はされていないということですよね

もう一度確認しますが
御遺命の戒壇は御影堂ではないということで宜しいですね

との確認をさせて頂いたのですが
特に御返事がなかったので異論はないと解釈してますが

法華講員の方の中には、端的にまとめると

一期弘法付嘱書に本門戒壇を建立せよと言われたのは日興上人
百六箇抄には『三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺の本堂なり』と相伝があり
大石寺を建立しその本堂として御堂を創建された
また日興跡条々事には、大石寺は御堂といい修理をしながら広宣流布を待つべきと日目上人に相伝されているから
御堂が本門戒壇本堂である
だから多くの御法主上人が修理を加えた御堂である御影堂が御遺命の戒壇です

と御遺命の戒壇が御影堂と断言しておりますが
本当なのでしょうか?

国立戒壇に関する調査報告書 旭川さんへのご返事② | 諸宗 破折 (ameblo.jp)

 

【正本堂と御遺命の戒壇、教義上なにが違うのか】

2022年12月5日に質問しましたが
法華講員の方達は、宗門は正本堂を御遺命の戒壇と断定していないと断言しておりますが

では正本堂と御遺命の戒壇、教義上なにが違うのでしょうか?
私には分かりません

多分、顕正会の方達も分からないと思いますので
分かりやすく説明して貰っても宜しいですか?

 

【警告表示の件】
旭川です、御返事をアメブロに書きましたのでよろしくお願いします

後、サイトの件なのですが
私は、サイトの初期設定を全て業者にお願いしました
そして、サイトに不具合が発生すれば直ぐにその業者に診断をして頂ける手筈になっております
9月20日に直ぐに診断して貰いました
私としては、「対応が早すぎる」とありの金吾様に言われるとも思いましたが
なるべく早くに対応に動いた次第であり、嘘は言ってはいないのですが
ありの金吾様は裏を取ってからそのような発言をされているのでしょうか?

御返事はアメブロの方に書きますので、今後も討論の程よろしくお願いします

2022年10月6日 旭川 (2022年10月06日 21時45分55秒)


上記は、ありの金吾様のコメント欄でのやり取りなので
討論とは関係ない内容ですが
私は、ありの金吾様の「嘘」の使用の仕方に前々から疑問を持っております
2022年12月5日にもお伺いしましたが
まだ、上記について御返事がないようなので
御返事宜しくお願い致します

 


 

以上が私からのお伺いですが
ありの金吾様の方から
私が反論できてない内容とか、私が逃げている内容とか、都合のいいように話を反らしているとかあれば
御自分のブログに書いておいて下さい

20223年1月29日
旭川

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