2022年12月5日 ありの金吾様へのお伺い

旭川ひろし氏の国立戒壇論を破す―10 | 顕正会員は日蓮正宗に帰伏するべし – 楽天ブログ (rakuten.co.jp)

上記のありの金吾様の「旭川ひろし氏の国立戒壇論を破す-10」
のブログに下記の内容を返信しました

旭川さんへ

一応、返事は書きましたが、今回の旭川さんのお返事はいつにもまして酷い内容です。

もはや論じるに値しない内容だと思いますから、今後はお返事は不要です。

今まで討論中の、ありの金吾様の口の悪さは気になっていましたが

やはり、討論をフェードアウトする為の伏線でしたか・・・

では下記の私の反論を読み無視することはできますか?

無視する方が得策と考えるのかも知れませんが・・・

下記のありの金吾様の反論内容を読んでも、回答し易いものだけ、回答したといった感じですね

いづれ、法華講員、顕正会員の方達が私と、ありの金吾様の討論を読む日がきますよ

※大分、議題の中に他の討論の内容も入り混じっていると思ったので
分かりやすく議題内容を整理しました
分かりにくい・問題ありの場合は次回教えて下さい

【(1)現在の憲法下では「国立戒壇」は実現可能だから、実現可能なことを目的にするのは間違っていないについて】

(1)については、『旭川ひろし氏の国立戒壇論を破す―6』で既に結論が出ていますが、結論となった日顕上人の御指南を再度掲載させていただきます。

「御本仏大聖人様が最後に御遺誡、また御命題として我々にお残しくださった『三大秘法抄』『一期弘法抄』の「戒壇」の文については、軽々に論ずるべきではないと思います。
もちろん今、ある時点を予測して考えれば色々なことを言えるけれども、将来どう変わるかということは本当に判りません。
だいいち、日本の現在の民主主義の形だって、憲法だって、将来どう変わるか判らない。
だから、そんなことに関して今、具体的な形で言う必要はないのです。
根本において、戒壇というのは事相だということを、大聖人もおっしゃっておりますように、事相なのだから、実際の相というものはその時でなければ明確には顕れません。
よって『三大秘法抄』『一期弘法抄』の戒壇ということはまさにその時が来た時に、本門戒壇の大御本尊様を根本と拝しつつ、その時の御法主がその時の実状に即した形で最終の戒壇を建立するのだと、私どもは信ずべきであると思うのであります。」

(『近現代における戒壇問題の経緯と真義』98~99頁)

旭川さん

「本当に上記の日顕上人の御指南を結論として納得するのですか」

②旭川さんが上記の日顕上人の御指南を受け入れようとしてないだけです。

 

①について
日蓮正宗が御遺命の戒壇の定義に関して、不正をした事実は変わりません

「近現代における戒壇問題の経緯と真義」を読めば
日蓮正宗はどれだけ創価学会の御遺命の戒壇の定義変更に協力したのか、非常に不気味な内容になっていると思います

世間においても不正をすれば、それに伴って弊害が起こります
ましては御遺命に関する事です
将来の広宣流布達成の時期に重大な弊害が起こってないとは言い切れないハズです

間違っていました・だから訂正しました・将来のことだから分かりません・今はちゃんとやっています

で、なかったことに出来る問題ではないと思うのですがどうでしょうか?

要するに上記の日顕上人の言葉は

御遺命の戒壇の定義を変更したことにより
将来のことは分からない
具体的な形で言うことが出来ない

と言うことですよね

「近現代における戒壇問題の経緯と真義」を読めば
日顕上人は
御遺命の戒壇に関して

将来のことは分からない
具体的な形で言うことが出来ない

としか説明できないと思います
それほど「近現代における戒壇問題の経緯と真義」は
当時の日蓮正宗の内部事情を濁しながら表現した告発本だと思います

①について
つまり、その時の政治体制とか、憲法によっては
御遺命の戒壇は国立の可能性があるということですよね

①について
(これは、私とありの金吾様の討論をいづれ読まれる、一般の方達、法華講員の方達、顕正会員の方達へのメッセージです)

日蓮大聖人の御遺命と聞くと、凄く難しい仏法上の教義の問題と思われる人は多いのではないでしょうか?

しかし、実際には違います
上記の日顕上人の言われていることを
受け入れることができるのか・できないのか
たったそれだけのことなんです


②について
ありの金吾様の感覚が分かりません
なぜ、「近現代における戒壇問題の経緯と真義」を読んで尚
日顕上人の言葉を受け入れられるのですか?

2022年8月17日の御返事でも書きましたが
私が調査する限り、現在ブログを書かれている法華講員の有識者の方達でさえ
当時の日顕上人の言葉の信憑性に疑問を持っている方もおります

正本堂の意義付けに関して
日顕上人の言葉には、信憑性はないと思います

②について
今後、法華講員の方達、顕正会員の方達、一般の方達に対して
本当に上記の日顕上人の言葉を受け入れることが
出来るのか?
出来ないのか?
調査を進め是非を問うてみます

その結果は再度、御連絡しますので、その時は御返事宜しくお願いします

について
2022年10月6日
私は下記の質問をしています

※ことのついでに前回でもお願いしましたが
一度
【「近現代における戒壇問題の経緯と真義」における日顕上人の正本堂の意義付けに関する発言に100%信憑性があるのか】
について討論しませんか?

私は信憑性はないと思っております
異論はないですか

信憑性のない御指南を受け入れることはできません
次回の御返事では回答を期待しております

【(1)現在の憲法下では「国立戒壇」は実現可能だから、実現可能なことを目的にするのは間違っていないについて】

旭川さん

「上記の内容を一言で表現すれば
広宣流布達成の定義を変更してしまったから
将来のことは分からないとしか答えられなくなってしまった
ということですよね」
「御遺命の戒壇を前もって建てて良いとしたことによって
御遺命の戒壇のゴール地点が無くなってしまったとの結果を日顕上人は書かれているのではないですか?
2冊の本を間違って書いたことによる御遺命の戒壇の問題点を指摘する
私の質問は間違ってますか?」
「正本堂の意義付けの不正があった以上

将来の御法主が御遺命の戒壇達成の判断基準を失ったと思います」

御遺命の戒壇を前もって建てて良いことにしたから、御遺命の戒壇のゴール地点が無くなったと旭川さんは言っていますが、これはただの妄想です(笑)

このことについては、日顕上人が次のように述べられており、創価学会が破門され正本堂が無くなった現在から見れば、「言い過ぎやはみ出し」があったなどと訂正遊ばされているのです。

「昭和四十七年の『国立戒壇論の誤りについて』と五十一年の『本門事の戒壇の本義』は、先程から言っているように私が書いたけれども、そこにはたしかに、戒壇の建物は広布完成前に建ててよいとか、正本堂が広布時の戒壇の建物と想定するような、今から見れば言い過ぎやはみ出しがあるけれども、これはあくまで正本堂の意義を『三大秘法抄』の戒壇に作り上げようとした創価学会の背景によらざるをえなかったのです。
(中略)
そういうことですから、正本堂がなくなった現在、その意義について論ずることは、はっきり言って、全くの空論であると言ってよいと思います。」

(『近現代における戒壇問題の経緯と真義』97~98頁)

このように現在の宗門には、「戒壇の建物は広布完成前に建ててよいとか、正本堂が広布時の戒壇の建物と想定するような」考えはありません。

よって、御遺命の戒壇のゴール地点が無くなっているということもありません。

この話は前回の『旭川ひろし氏の国立戒壇論を破す―9』を含め、これまでに何度もしていますよね?
旭川さんは読解力がないのですか?

それか、認めたくないだけではないですか?

「近現代における戒壇問題の経緯と真義」を読めば

日蓮正宗はどれだけ創価学会の御遺命の戒壇の定義変更に協力したのか、非常に不気味な内容になっていると思います

世間においても不正をすれば、それに伴って弊害が起こります
ましては御遺命に関する事です
将来の広宣流布達成の時期に重大な弊害が起こってないとは言い切れないハズです


上記は3つお伺い致します

①つ目は
2022年10月6日にも同じような内容を書きましたが

上記にも紹介されていますが
正本堂の意義付けの為に書かされた
『国立戒壇論の誤りについて』『本門事の戒壇の本義』は空論
(現実ばなれしていて役に立たない議論や理論。)のハズ

まして「近現代における戒壇問題の経緯と真義」を読めば
2冊の本は信憑性の全くない書籍だと思われる

しかしながら、法華講員の方達はこの2冊の本を、御遺命の戒壇の根拠として現在でも使用しています

御遺命の戒壇のゴール地点が無くなっているということもありません。


どうして、このような法華講員の方達の御遺命の戒壇の考え方
(現実ばなれしていて役に立たない議論や理論。)で
御遺命の戒壇のゴール地点が無くなってないと断言できるのでしょうか?

解説して貰えますか?

※正系門家だから大丈夫! みたいなアバウトな反論は出来れば辞めて欲しいです

②つ目は
2022年8月17日にも書きましたが

『国立戒壇論の誤りについて』は文証として利用していいのですか?
ありの金吾様は文証の大事を散々述べてきましたよね
文証は文章を読めば明らかなことなんですよね

「近現代における戒壇問題の経緯と真義」を読めば
2冊の本は信憑性がないですよね
文証として利用することは出来ないと思います

上記の回答がまだでしたので
この段落で再度質問させて頂きます
次回での御返事を期待しております

➂つ目は

(現実ばなれしていて役に立たない議論や理論。)であり
信憑性のない
『国立戒壇論の誤りについて』と『本門事の戒壇の本義』の2冊を御遺命の戒壇の根拠として広宣流布を進めることが

本当に御書に書いてある正しい、広宣流布の進め方なのですか?

④つ目

現在の憲法下では「国立戒壇」は実現可能だから、実現可能なことを目的にするのは間違っていない

でいいですね

【(2)日蓮正宗に御遺命の戒壇は「国立」との考えは無いについて】

では(2)については
日蓮正宗に御遺命の戒壇は「国立」との考えがあることを示す文証を提示できなかった

との結論で構いません

 

【憲法改正の法整備が整った時代でも、御遺命の戒壇は100%国立ではないと断言できるのか】

今までの討論でも何度も私が書いた内容ですが
改めて段落を設けて質問します
私は断言できないと思います

ありの金吾様の考えをお聞かせ下さい

・顕正会の国立戒壇論は田中智学の国立戒壇論と「うり二つ」

 

「結局、道理から言っても「国立戒壇」は誤りですから、『国立戒壇論の誤りについて』のなかにおいて「国立戒壇が間違いだ」と言ったことは正しかったと思っております。」
この日顕上人の御指南に対して、旭川さんは以下のように妄想による反論をしています(笑)
「ここで使用されている「道理」の意味は
平成16年現在の法律の下では、憲法を改正する為の法整備が整っていないから日顕上人は道理として考えて「顕正会の主張する国立戒壇」は出来ないと言っているんですよ」
しかし、この旭川さんの反論は誤りです。
なぜなら、日顕上人は「顕正会の主張する国立戒壇」が間違っている理由として、
「田中智学とうり二つの浅井の考え方を破り」
(『近現代における戒壇問題の経緯と真義』59頁)
と述べられているからです。
つまり、「顕正会の主張する国立戒壇」は国柱会の田中智学の「国立戒壇論」に酷似しているから間違いなのです。

旭川さん

「その全てに私は反論を加えてますよ、それに対して一度もありの金吾様は反論のコメントすらないですよね」
前述のとおり、顕正会の国立戒壇論は田中智学の国立戒壇論と「うり二つ」だから誤りというのが私からの反論です。
この話は何回かしていますが?

旭川さん

「ありの金吾様が必死に訴えているのは
「日顕上人は顕正会の国立戒壇論と田中智学の国立戒壇論がうり二つ」と言っている!
とのことですよね
わかりました!
※それは対外的な建て前での発言だと思われます」
建て前?
ただの逃げ口上にしか聞こえませんが?

旭川さん

「では日顕上人が田中智学の国立戒壇論を解説している文章はどう思いますか?
顕正会の国立戒壇論と田中智学の国立戒壇論は似て非なるものですよね」
日顕上人は下記のように「田中智学とうり二つの浅井の考え方」と仰っており、さらに「浅井一派の国立戒壇論」は「殆んど田中智学の思想の模倣であってその酷似するところ驚くほかはない」とご指摘されています。
「田中智学とうり二つの浅井の考え方を破り」
(『近現代における戒壇問題の経緯と真義』59頁)
「浅井一派の国立戒壇論をざっと摘要すれば、(中略)殆んど田中智学の思想の模倣であってその酷似するところ驚くほかはない。」
(『本門事の戒壇の本義』30頁)
さらに、日顕上人は次のようにも仰っているのです。
「浅井の「国立戒壇」の主張は何かと言えば、先程言った田中智学の内容なのです。
(中略)
なおかつ、浅井が言っていることは「本化妙宗式目」にある内容、つまり勅命の「国立戒壇」であります。」
(『近現代における戒壇問題の経緯と真義』60~61頁)
「本化妙宗式目」とは、田中智学の講義です。

つまり、日顕上人は、浅井の国立戒壇論=田中智学の国立戒壇論であるとご指摘されているのです。

 

非常に長く書かれていますが

要するに上記のありの金吾様が説明されているポイントは2点だと思います

①日顕上人は顕正会の国立戒壇と、田中智学の国立戒壇はうり二つと
言っているじゃないか!

②日顕上人が言っている「道理」の意味は
顕正会の国立戒壇と、田中智学の国立戒壇はうり二つとの意味

という内容ですよね
確認ですが合ってますか?

だとすると猶更、私は
顕正会の国立戒壇と、田中智学の国立戒壇はうり二つ
との内容を否定したいと思います


では本題に入ります

前回、2022年10月6日に、ご質問しましたがご返事がなかったので

再度お伺いします

〇田中智学は一期弘法抄の本門寺の戒壇に御安置する御本尊様
つまり御遺命の戒壇に御安置する御本尊様は何にすると言っていますか?

〇田中智学の国立戒壇論の内容は
御遺命の戒壇は国民の総意で造ると言ってますか?

この2点を、ありの金吾様は回答できないと思います

つまり、この段落の討論の私からの王手です

次回の御返事を期待しております

 


 

※それは対外的な建て前での発言だと思われます」

建て前?

ただの逃げ口上にしか聞こえませんが?

確かに、建て前との反論は、一般的には逃げ口上と捉えられると思っております

しかし、「近現代における戒壇問題の経緯と真義」は違います
本書は、対外的な文章の表面上の書き方と、文章の奥に隠されている意味があると思います
要するに本音と建て前です
ありの金吾様も気づいているのではないですか?

その証拠に、本書では顕正会と田中智学の国立戒壇論はうり二つと表面上は書かれていますが

ありの金吾様は顕正会と田中智学の国立戒壇論はうり二つと断言できないでしょう

これが「近現代における戒壇問題の経緯と真義」の正体です

(3)日蓮正宗は創価学会の圧力によって御遺命の戒壇の定義を変更せざるを得なかったのではないか?について

・本門戒壇の大御本尊のおわします所が事の戒壇
旭川さん
「もう一つは、日達上人が我々にお示しくださった御先師の御説法本のなかに、それがあるということです。
と確かに書いてありますが
その他は、「この所すなわちこれ本門事の戒壇との」御文はあったり・なかったりとの様な説明されていますよ
だから、文証として信憑性がないのではと言っているんです」
確かに日顕上人は、「御戒壇説法」のなかで「この所すなわちこれ本門事の戒壇」という御文が無かった例も挙げられています。
しかし、「戒壇の大御本尊まします所は事の戒壇」という教義は御相伝なので、「御戒壇説法」のなかで触れられなかったとしても別に不思議ではありません。
そして、この件について日顕上人は次のように結論付けられています。
「日達上人のあらゆる点からの御指南から言っても、本門戒壇の大御本尊のおわします所が事の戒壇という御指南は、たしかにそのとおりだと思います。」
(『近現代における戒壇問題の経緯と真義』104頁)
この日顕上人の御指南に対して旭川さんは、
「この内容は対外的な日達上人への建て前の言辞だと思われます」
と言っていますが、何回「建て前」という逃げ口上を使えば気が済むのでしょうか(笑)
さらに、第五十二世日霑上人の『三大秘法談』にも、
①「未だ広布の時至らず事相の戒壇御建立なしといへども此の道場即是れ事の戒壇真の霊山事の寂光」
(『研究教学書 二三』418頁)

という御文があるのです。

 

では①についてお伺いします

なぜ上記の文章で、創価学会が日蓮正宗にプレゼントした建物が
事の戒壇になるとの解釈になるのでしょうか?

それともう一つ
プレゼントした正本堂の建物も事の戒壇でOKと認定したら
正本堂は一期弘法付属書並びに三大秘宝抄の意義を含んでしまうと思うのですがそれでもいいのですか?

法華講員の方達・顕正会の方達にも分かるように説明して下さい

私は正本堂は一期弘法付属書並びに三大秘宝抄の意義など
1mmも含んでいないと思っております

【日顕上人は日達上人の御指南を100%納得されていると断言できるのか】

旭川さん

「「近現代における戒壇問題の経緯と真義」はそのような
日達上人の御指南に納得している文書構成にはなっていないと思います」
「この日達上人の御指南に信憑性がないから
日顕上人は事の戒壇というと、やはり『一期弘法抄』『三大秘法抄』の戒壇ではないかと思っているのではないですか?」
日顕上人は次のように、日達上人の御指南に思いっきり納得されています(笑)
「日達上人のあらゆる点からの御指南から言っても、本門戒壇の大御本尊のおわします所が事の戒壇という御指南は、たしかにそのとおりだと思います。」

(『近現代における戒壇問題の経緯と真義』104頁)

『近現代における戒壇問題の経緯と真義』より抜粋

この当時、浅井の問題に関連した形で宗門と学会とが、日達上人の御指南を承りつつ、どうしてもやらざるをえなかったのが正本堂の意義付けということでありました。
私は当時、教学部長をしていたものだから結局、このことについて私が書くことになってしまい
(58p~59p)


本書を読んだ人は、日顕上人は日達上人の御指南を納得してないんだな・・・
本音はやりたくないんだな・・・
との感想を持つと思います

やはり日達上人のもとで私が御奉公させていただいたのだし、当時の宗門の流れの上から、その時、その時、の事実は事実として、きちんと残したほうがよいと思うのです。
また正直に言いますと、やはりその当時は、私はそういうように書かざるをなかったし、そういうようなことがあったのであります。
(87p)


本書を読んだ人は、日達上人の御指南とはいえ、日顕上人は納得してやったわけではないんだな・・・
本当はやりたくなかったんだな・・・
との印象を持つと思います


 

本書では日達上人を擁護している言葉も多数出て来ますが
やはり、要所要所に出てくる上記の様な日顕上人の言葉を聞くと
本音では日達上人の御指南の全てを納得している訳ではないなという印象を持ちますが
どうでしょうか?

 

【正本堂が御遺命の戒壇の意義を含むことに対して、妙信講は抗議をしていなかったのかについて】

 

旭川さん

「上記の文を読むと
創価学会が正本堂を御遺命の戒壇そのものにしようとしたことに浅井会長が抗議したことの根拠にもなるし
正本堂が御遺命の戒壇の意義を含むことに対して妙信講が抗議をしているようにも見えますが」
旭川さんが提示した日顕上人の御文についてですが、これらは創価学会が正本堂を御遺命の戒壇そのものにしようとしたことに浅井昭衛が抗議したことの根拠にはなっても、正本堂が御遺命の戒壇の意義を含むことに対して妙信講が抗議をしている根拠にはならないです。

旭川さんが提示した日顕上人の御文について、以下においてもう少し詳しく検証してみました。

「そのころ池田は、正本堂が御遺命の戒壇で、御遺命の達成であると、そのものずばり言っておりました。
学会のほうでは正本堂が『三大秘法抄』の戒壇そのものであると言っていたのです。
それに対して、浅井から色々と横槍がたくさん出てきたのですが、この時、浅井は一往、捨て身の考え方で抗議したということは言えると思います。
しかし、その色々な面において、「国立戒壇」ということを言い出しているわけで、その浅井の「国立戒壇」の主張は何かと言えば、先程言った田中智学の内容なのです。」
(『近現代における戒壇問題の経緯と真義』60頁)
この御文では、正本堂が御遺命の戒壇そのものであると学会が言っていたことに対して、浅井は抗議したと述べられています。
しかし、正本堂が御遺命の戒壇の意義を含むことに対して妙信講が抗議をしていたとは一言も述べられていません。
一方で、日顕上人は浅井の「国立戒壇」の主張が間違っていることも指摘されているのです。

「昭和四七年二月には浅井昭衛が「事の戒壇」についての宗門の見解を変えるよう要求を出してきたのです。

一つ目は「正本堂は三大秘法抄・一期弘法抄の御遺命の事の戒壇ではない」ということですが、これは以前から今日まで御戒壇様のまします所、事の戒壇という御指南が本筋であります。」
(『近現代における戒壇問題の経緯と真義』73頁)
この御文については、学会が正本堂を御遺命の戒壇そのものにしようとしたことに浅井が抗議した根拠にもならないと思います。
なぜなら、日達上人は昭和四十五年四月の時局懇談会および教師補任式で、正本堂の定義について、戒壇の大御本尊のまします所は事の戒壇であるということを御指南されているからです。
要するに日達上人は戒壇の大御本尊のまします所は事の戒壇であるから、正本堂は事の戒壇と言えると仰ったのであり、「正本堂は御遺命の事の戒壇である」と御指南されたわけではありません。
旭川さんはこの御文の
「これは以前から今日まで御戒壇様のまします所、事の戒壇という御指南が本筋であります。」
という部分は引用していませんが、これは切り文による印象操作ではないでしょうか?

「池田大作は浅井の抗議や色々な問題があって、結局、正本堂が御遺命の戒壇であると正面を切ってはっきりとは言えなくなったのです。」

(『近現代における戒壇問題の経緯と真義』85頁)
浅井の抗議とありますが、その後に「正本堂が御遺命の戒壇であると正面を切ってはっきりとは言えなくなった」とあるので、これは学会が正本堂を御遺命の戒壇そのものにしようとしたことに浅井が抗議したことを示されていると思われます。
しかしながら、正本堂が御遺命の戒壇の意義を含むことに対して、妙信講が抗議をしていたとは述べられていません。
まず、この段落の反論を読んだ感想としては
正本堂は御遺命の事の戒壇か?そうではないのか?の議題ではないと思います
あくまでも正本堂が御遺命の戒壇の意義を含むことに対して、妙信講は抗議をしていたのか・していなかったのか?
が論点だと思いますさて本題に入りますが、上記の反論は
戒壇の大御本尊のまします所は、どこでも事の戒壇と言えるとの大前提の元での反論だと思います
しかしながら、戒壇の大御本尊のまします所は、どこでも事の戒壇と言えるのか?・言えないのか?については現在別の段落で討論中なので
この討論の結論が出てから上記の反論をするべきだと思いますががどうでしょうか?

 


さて
正本堂が御遺命の戒壇の意義を含むことに対して、妙信講が抗議をしたのか・してないのか
についてなのですが

「昭和四七年二月には浅井昭衛が「事の戒壇」についての宗門の見解を変えるよう要求を出してきたのです。
一つ目は「正本堂は三大秘法抄・一期弘法抄の御遺命の事の戒壇ではない」ということですが、これは以前から今日まで御戒壇様のまします所、事の戒壇という御指南が本筋であります。」

(『近現代における戒壇問題の経緯と真義』73頁)

では上記の顕正会と宗門の主張をそれぞれ分かりやすく書きます

顕正会の要求は
(戒壇の大御本尊のまします所は、どこでも事の戒壇とは言えない)

宗門の主張は

(戒壇の大御本尊のまします所は、どこでも事の戒壇と言える)

この両者の明確な主張の違いが分かりますか?

プレゼントの正本堂も事の戒壇でOKとしてしまったら
宗門は正本堂を御遺命の戒壇と断定しなくても
正本堂は御遺命の戒壇の意義を含んでしまうではないですか?
顕正会が何に対して抗議をしていたのか、ありの金吾様は分からないのですか?

いいですか、創価学会の真の狙いを見抜かないと、この問題は見えてこないです
創価学会の第一の優先事項は、プレゼントの正本堂を宗門に「御遺命の戒壇です」と認定させること
それが駄目なら、第二段階として「正本堂も御遺命の戒壇の意義を含む」と認定させる
この第二段階の「正本堂も御遺命の戒壇の意義を含む」と宗門に認定させるだけでも、創価学会の目的はある程度達成できると思います

なぜなら、「近現代における戒壇問題の経緯と真義」(70p)の内容は今まで私が何度も書いてきましたが
分かりやすく書くと

東京都知事から、国立戒壇を目的にしている創価学会は
その活動自体が憲法違反になるのではないかとの照会

この回答をどうするのかが、創価学会最大のハードルだったと思われる
創価学会が「YES」と回答すれば
創価学会はその存在自体・活動自体が憲法違反になり
選挙で勝つどころの騒ぎではないと思います

この時点で宗門が、正本堂は御遺命の戒壇の意義など1mmも含まない
と断言さえすれば、現在、創価学会の活動は消滅しているものと思っております

難しい話はこの段落では割愛しますが

創価学会にとっては最悪、宗門がプレゼントの正本堂を「御遺命の戒壇」と認定しなくてもいいんです
「プレゼントの正本堂も御遺命の戒壇の意義を含む」と認定して貰えば
その曖昧なニュアンスだけで創価学会は大成功なんです
この問題がクリアできれば、後は教義の分からない東京都知事にアナウンスするだけ

つまり、アナウンス内容は創価学会が目的にしている御遺命の戒壇というのは
国家権力とは関係ありません、宗門が勝手にやるイベントです
と回答すればいいだけになります

その証拠に(70p)には
これはあくまで宗門の事業であり、国家権力とは無関係である
と書いてあります

これにより創価学会は、みごと学会員の目を欺くことに成功した
御遺命の戒壇建立を正本堂の如くに装い
本来の御遺命の戒壇建立の事業は宗門に押し付けた

これで晴れて創価学会は何のしがらみもなく、選挙活動に没頭できることになる
要するに創価学会の思い通りの展開になってしまったということです

「近現代における戒壇問題の経緯と真義」を読むと
これらの辻褄が合うと思います

ありの金吾様、本当に妙信講(顕正会)は
正本堂が御遺命の戒壇の意義を含むことに対して、妙信講は抗議をしていなかった

と断言できるのですか?

【妙信講は当時、正本堂が将来的に御遺命の戒壇となり得ることを認めていたのかについて】

旭川さん
「この確認書は正本堂が最終の戒壇ではないことの確認書であって
それまでの書類だと思います」妙信講が創価学会に作らせ署名した昭和45年9月11日の確認書には、
「正本堂は三大秘法抄・一期弘法抄にいうところの最終の戒壇であるとは、現時において断定はしない。」
(『日蓮大聖人の仏法 改訂版』221頁)
と書いてあります。しかし、「現時において断定はしない」ということは、現時点において断定はしないというだけであり、裏を返せば将来において断定する可能性を認めることになっているのです。
つまり、妙信講はこの時点で正本堂が将来的に御遺命の戒壇となり得ることを認めているのです。

顕正会の書籍
「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」(63p)に「報告書」を書く経緯の詳細が載っていました
昭和四十年二月十六日以来、筆に口に「正本堂は御遺命の戒壇」と断定してきた学会が、ここに「断定しない」と云い、また「今日すでに広宣流布」と偽っていた学会が「今後異体同心にして広宣流布達成をめざして」と訂正したのである。
文言の直截ならざるは学会の苦衷の表れであるが、彼等はその意とするところを口頭で幾度も私に説明し、誠実さを示した。
私は彼等を信じてやりたかった。

これを読むと、妙信講は「正本堂は御遺命の戒壇」と断定してきた学会の主張を断定しないと訂正させたと書かれております

しかし、ありの金吾様は報告書の内容を
つまり、妙信講はこの時点で正本堂が将来的に御遺命の戒壇となり得ることを認めているのです。

と解釈されておりますが
顕正会側の説明を聞けば、断定→断定しないとの訂正内容の報告書だということが分かると思います

ただ、ここで問題になるのが、宗門がプレゼントの正本堂も御遺命の戒壇の意義を含むとの考え方
つまり、正本堂は御遺命の戒壇と断定はしないけど
将来、正本堂が本門寺の戒壇になるかどうかは分からない、との考え方である以上
(本書では宗門はその考え方は強要されたと書かれていると思います)

断定→断定しないと
顕正会は創価学会に訂正させるのが限界ではないかと推測します
昭和45年の時点では既に、宗門は正本堂を御遺命の戒壇の意義を含むとの考え方になっていたと推測します

この宗門の考え方がある以上
妙信講が創価学会に対して正本堂は御遺命の戒壇ではないと言ったところで
創価学会としては、「だって宗門からは正本堂も御遺命の戒壇の意義を含んでいると許可を貰っている」との
何とでも言い訳できる反論材料がある訳です

顕正会としては創価学会に対して「正本堂は御遺命の戒壇ではない」と断言したい所ですが
宗門の「どちらとも言えない」との曖昧なニュアンスが
創価学会が企む、正本堂の御遺命の戒壇計画を助けているんです

私は妙信講(顕正会)の抗議がなければ宗門は正本堂を御遺命の戒壇と認定していたと思っております

そして私も、ありの金吾様も当事者ではないハズ

『近現代における戒壇問題の経緯と真義』60頁には
その色々な面において、宗門の考えとは違うことはあったのかもしれませんが
この時、浅井は一往、捨て身の考え方で抗議したということは言えると思います。
と日顕上人は話されています
これは、間違った考え方の抗議ではないと思います

妙信講の抗議内容については日顕上人の上記の言葉のニュアンスにお任せすればいいのではないですか?

 

【御遺命の戒壇は御影堂について】

2022年8月17日、2022年10月6日
にご質問しましたが、まだ回答が来てないようなので宜しくお願いします

旭川さん
「どのようなプロセスで御遺命の戒壇を造るのか具体的な道筋が、宗門古来の御遺命の戒壇の建築条件の定義が存在するのではないですか?」
旭川さんは御遺命の戒壇の建築条件が存在するのではないか?と言っていますが、日寛上人におかれてさえ、御遺命の戒壇についての具体的な御指南はされていないのです。

つまり日寛上人を含め、御先師の方達は
御遺命の戒壇についての具体的な御指南はされていないということですよね

もう一度確認しますが
御遺命の戒壇は御影堂ではないということで宜しいですね

との確認をさせて頂いたのですが
特に御返事がなかったので異論はないと解釈してますが

法華講員の方の中には、端的にまとめると

一期弘法付嘱書に本門戒壇を建立せよと言われたのは日興上人
百六箇抄には『三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺の本堂なり』と相伝があり
大石寺を建立しその本堂として御堂を創建された
また日興跡条々事には、大石寺は御堂といい修理をしながら広宣流布を待つべきと日目上人に相伝されているから
御堂が本門戒壇本堂である
だから多くの御法主上人が修理を加えた御堂である御影堂が御遺命の戒壇です

と御遺命の戒壇が御影堂と断言しておりますが
本当なのでしょうか?

国立戒壇に関する調査報告書 旭川さんへのご返事② | 諸宗 破折 (ameblo.jp)

 

【正本堂と御遺命の戒壇、教義上なにが違うのか】

ありの金吾様に新たにご質問なのですが
法華講員の方達は、宗門は正本堂を御遺命の戒壇と断定していないと断言しておりますが

では正本堂と御遺命の戒壇、教義上なにが違うのでしょうか?
私には分かりません

多分、顕正会の方達も分からないと思いますので
分かりやすく説明して貰っても宜しいですか?

 

【警告表示の件】
旭川です、御返事をアメブロに書きましたのでよろしくお願いします

後、サイトの件なのですが
私は、サイトの初期設定を全て業者にお願いしました
そして、サイトに不具合が発生すれば直ぐにその業者に診断をして頂ける手筈になっております
9月20日に直ぐに診断して貰いました
私としては、「対応が早すぎる」とありの金吾様に言われるとも思いましたが
なるべく早くに対応に動いた次第であり、嘘は言ってはいないのですが
ありの金吾様は裏を取ってからそのような発言をされているのでしょうか?

御返事はアメブロの方に書きますので、今後も討論の程よろしくお願いします

2022年10月6日 旭川 (2022年10月06日 21時45分55秒)


上記は、ありの金吾様のコメント欄でのやり取りなので
討論とは関係ない内容ですが
私は、ありの金吾様の「嘘」の使用の仕方に前々から疑問を持っております
まだ、上記について御返事がないようなので
御返事宜しくお願い致します

 


以上が私からのご返事ですが
ありの金吾様の方から
私が反論できてない内容とか、私が逃げている内容とか、都合のいいように話を反らしているとか
後、ありの金吾様の方から新たに何か聞きたい内容があれば、次回のご返事で書いておいて下さい
次回のご返事宜しくお願い致します

2022年12月5日
旭川

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